おはようございます。訪問ありがとうございます。

新しい週が始まりました。今朝も訪問くださって感謝いたします。

 

聖書のおはなしでは、先週から『教会とは何か』について記事を書かして頂いてますが。

先週は主に、私の通うとる教会の、またグループが生まれてから今までの歴史について書きました。今週は、いよいよ『教会とは何か』についての本題に入ることになります。ほな、始めますね。

 

 

  教会って三角屋根で十字架のある建物でしょ?

確かに、そうですね。間違いでは無いです、ハイ。(^-^;

やっぱ十字架はキリスト教のシンボルやし、それが無かったら、ここが教会と解り難いと思います。

今回の記事の最初の絵も、そんな感じやないでしょうか。いかにもそれや、みたいな。

こういう形の建物を見ると『あ~。これが教会やなぁ』って、たぶん皆さんにも解りやすいですね。

でもね、聖書が語る教会っていうんは、単なる建物ではないってことを教えてくれます。

じゃあ、これからは、その『聖書が語る教会』について見ていきましょう。

 

 

  聖書が語る教会

では、話を進めるにあたって、まず、この御言葉を採りあげることにします。

ちょっと長い箇所ですけど、見てみてください。

 

 

この御言葉ん中の5節に「主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」と、あります。

っていうんは、もちろんイエス様のことで、その教会のかしらがイエス様御自身ってことですね。

「教会の代表って誰?」って訊かれると、牧師先生とか神父さまって答えるかもしれませんけども、

それは、あくまでも、教会の運営を司ったり、群れの信徒を世話する役割の人であって、

この御言葉が言う「教会のかしら」っていうわけではないんですね。

人間が教会をまとめるんやのうて、教会そのものを導いてくださるんは、神様とイエス様なんです。

 

 

 

  御霊による一致

 

次は、この『御霊による一致』について見ていくんですが・・・。

先ほどから見とる聖書箇所のところに、これがありましたね。2~3節んとこですけども。

謙遜と柔和と寛容・・・

これって、なかなか自分で持ち続けにくいというか、心掛けるんが難しい気持ちですよね。

いうても、私らぁ人間には、あらゆる感情いうもんが在るさかい、腹が立ったりする事もあるし。

でも、イエス様は「平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。」って言われます。


一般社会ん中で人間関係とかに問題があるんと同じように、教会ん中にも、同じことが言えます。

信仰の面では一致しとっても、いろんな考えを持った信徒が居るんが教会やさかいね。

時には・・・互いに争い合うたり、酷い場合は憎み合うたりって事にだって、なる場合もあります。

でも、言葉の続きにあるように、愛をもって互いに忍び、赦し合うことが大事になってきます。

喧嘩すること、特定の人に対してムカつくなぁとか思うような気持ちがあったとしても、

同じ信仰を持つ者同士として、各々が互いの存在を認め合って、尊重していく必要があるんやんね。

それが、まさに『御霊による一致』です。

 

イエス様を信じた者には、それと同時に、聖霊が、それぞれの心ん中に一緒に住んでくださいます。

やさかい、その聖霊さまの助けによって、クリスチャン同士は、互いに一つになることが出来ます。

教会に居る者みんなが互いに一つになって、バラバラにならんようにすること。

これが何よりも大切になります。

 

 

  賜物を生かし合う

次に、今回の長い箇所で採り上げとるとこん中の、7節に注目してみましょか。こうありますね。

しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。

神様は、私らぁ一人ひとりに、その人にしか備わってない賜物を与えてくださってます。

「賜物」っていうんは・・・わかりやすう言うと、その人の個性とか性質、才能のようなもんです。

人それぞれで得意分野も違うし、持っとる個性・性質・才能も、また人それぞれですよね。

その持っとるもんを各々が上手に生かし合って、教会を建て挙げていこうっていうことなんですわ。

 

ここで、コリント人への手紙第一・12章4節からのところを見てみたいと思いますけども・・・。

これも、さっき同様、長い箇所になるんで、いくつか抜粋して書いてみますね。

 

 

私らぁの身体も、そうですけど・・・、その身体には、いろんな器官がありますよね。

同じコリント人への手紙第一ん中に、こんな御言葉があります。一部抜粋しながら綴ってみますね。

実際、自分の腕を指で強くつねってみると・・・、大概の方は、痛みを感じるはずですよね。

それは、皆さん自身の身体と感覚が、ちゃんと一つに繋がっとるさかい、そうなるんです。

もし万が一、痛みが感じられえへんのやったら、それは、自分の感覚が脳みそと引き離されとると。

そうとしか考えられませんよね。

してみると、この御言葉を通して、教会ん中にも、誰一人として必要のない存在は無いと解ります。

 

 

さらに、ここには続きがあります。長うなりますけど、続けて読んでみましょう。


 

 

つまりは、みんな各々、それぞれに与えられてる力を持ち寄って、教会を創りあげていく。

これが、神様の仰る、いちばんの理想なんですね。

 

 

  教会を建て上げる

 

ここまで見てきましたけども、いよいよ話のまとめに入りたいと思います。

エペソ人への手紙4章には、こんな言葉も記されとるさかい、併せて読んでみましょか。

 

 

ここも長い箇所でしたけど・・・(^-^;)お分かり頂けましたかね。

しかも、この箇所ん中の13節は、私の通う教会の最大のビジョンとして、

2階の掲示板に『うちの信徒は。みな共にコレを目指せ』と、大きい貼りだされとんですよ。

いつまでも子どもみたいな信仰者やなしに、大人として成熟したキリストの弟子となりなさいって。

それを聞くと『かなりのプレッシャーやな』って思われるかもしれへんけど・・・。

でも、それぐらい、うちの教会は、現状に満足することなく、常に高みを目指しとんですよね。

 

うちんとこの教会以外の牧師先生とか信徒の方々も一緒やろと思うんやけど・・・、

如何していったら、多くの方々に教会のことを知って頂けるか。

囲いの外で彷徨ってる方々を、どうやって、イエス様の許にお連れして信仰に導くことが出来るか。

いろんな事を工夫しながら、クリスチャンらぁは、頑張っとんやんね。

それは、イエス様の十字架の愛を自分一人だけのものにしたないし、是非それを知って欲しいから。

そういうことなんです。

 

共に愛し合い、共に仕え合い、赦し合う者の群れ。それが教会です。

日曜日・・・朝早う起きて決まった時間になると、イエス様を信じる信徒、求める人が集まりだす。

自分には関係ない場所、敷居の高い場所やなんて、思う必要ないんですよ。

教会は、どんな人のためにも開かれとる場所ですさかい、どなたでも遠慮せんと訪ねてくださいね。

 

 

  今週の祈り

父なる神様。生きていて力があり、一切・・・誤りのない尊い主の御言葉を、感謝いたします。

神の家族として生きる為の教会が、あちこちに与えられていることを、改めて覚えました。

しかし、日々の生活を生きる中で、未熟な信仰のままで居ることは良くない。

そういうチャレンジを頂きました。

どうか、今の現状に満足することなく、ますます主に近づきつつ、忠実に歩んでいけますように。

イエス様のお名前によって、お祈りいたします。アーメン。