今でこそ脳梗塞による後遺症で右上肢・下肢の麻痺と失語症になり
車椅子生活を余儀なくされたばぁばですが・・・
入院前はそんなことになるなんて思いもしないくらい
元気で若々しいおばあちゃんでした
ばぁばは現在、85歳高齢者の中の高齢者です
それなのにうちの全ての家事担当は・・・ばぁば
とは言え、もちろん年寄る波には勝てず
私が大学で1人暮らしするようになってからは
父上と2人きりの生活で、結構手抜きになってた
それでも家のことやってたおかげか
杖もつかず、腰もまがらず、ボケもせず、元気そのものだった
口癖は「私は血糖値も高血圧もコレステロールも何もない!」
そのくらい健康だったわけなんです
脳梗塞になって倒れるその日その時までは
そんな元気ばぁばも、1つだけ・・・病気?を持っていました
生まれつき?心臓の壁が厚いという、特殊な心臓らしいんです
私が中学か高校の頃に、1週間くらいだったかな
なんでそうなったのかまったく覚えてないけど
隣県の病院に入院して、いろんな検査したんですよね
1度お見舞いに行った記憶があります
その時、お医者さんに特殊な心臓だって言われて
「手術などは出来ない」とか「今まで何とも無かったの?」とか
「隔世遺伝するもの」って言われた覚えはある
さすがに10年以上も前の話だから、ほとんど覚えてないケド・・・
まぁ、とりあえずそんなことがあってからなのかな~?
町の総合病院に月に1回、定期的に診察に行って
心臓の薬をもらって飲むようになりました
病気?が見つかる前も後も
発作みたいなのは1度もありませんでした
だからと言って、年には違いないですからね
ず~っと元気でいてくれる!なんて楽観してたわけでは無いですが
まさかその日が元旦だなんて思いもしませんでしたよ
12月30日に私は実家に帰る予定で
その前に、みんな(2番目の伯父・父上・ばぁば)と待ち合わせして
回るお寿司を食べてからデパートで年末年始の買い物をした
12月31日は父上は仕事で居なかったから
ばぁばと伯父と3人で年越しそばを食べた
01月01日のお昼頃はお節の準備してから
茶の間に座り、一緒にテレビ見て、お節を食べた
TVに飽き、お腹も満たされ、暇になった私は2Fの自室に行き
荒れまくりな部屋の片付けをしていたとき
私も伯父も気付かないうちにばぁばは倒れ
救急搬送となってしまったのです
(更に詳しくは過去記事で更新予定)
実は私、今年からばぁばと一緒にいる時間を
今より増やす予定だったんです
ばぁばもかなりいい年なのに、
父上が仕事の都合でたまにしか帰らなくなっちゃって
田舎で近くに民家がない寂しいトコなのに
更に1人で暮らすなんて絶対寂しいじゃ~ん
旦那の転勤話もあり、私は年内で仕事を辞めたので
(かなりわかりにくく長くなるので別記事に書きます;)
少なくとも3月末までは実家に帰る回数を増やせるはずっ
ばぁばにも仕事を辞めたことを話し
「たくさんおうち帰ってくるからね!」って言ってて・・・
きっとすごく楽しみにしていたはずなんです
そんな幸せがすぐ掴めるところまで来ていたのに
本当に、まさかとしか言いようが無かった
ついでに、ある意味もう笑い話みたいなもんですが
倒れた翌日の1月2日は・・・千鶴の誕生日だったんです
ケーキを買ってきて皆で食べるつもりだったのにね
結局食べそびれちゃったよ
原因はやっぱり、心臓だったのかなぁ?
ばぁばの脳梗塞は長嶋茂雄さんと同じ心原性脳塞栓症・・・
心臓に出来た血栓がある拍子に剥がれて飛んでいって
血管を詰まらせるタイプなんだって<同じダヨ~
脳に飛ぶと脳梗塞、下半身に飛ぶと下半身麻痺らしい
救急病院に搬送され、不整脈があることを初めて知った
知っていたら何か変わったかな・・・?
心臓の病気はあるから、頭のどっかで何かはある思ってたけど
脳梗塞なんて考えもしなかった・・・勉強不足だったんだね
後悔することはたくさん②あるけれど
一緒に居られる状況には変わりないし
もしかしたら数か月後には
実家で一緒に生活してるかもしれない
想像とはかなり違ってしまったけど
私の大好きなばぁばであることは変わらないし・・・
「老後」っていう物語が新しく始まっただけなんだ
って思うようにしています(●´ω`●)ゞ
ばぁばと私の「愛の老後物語」はまだ始まったばかりです
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