いつもありがとうございます
またまた氣がつけば、、ひと月振りでございます。
ご報告が遅くなりましたが、
2/3(金)、かながわ県民センターにて、
第3回新嘗のこころ勉強会~日本人のこころを取り戻そう♪in横浜~
を開催いたしました。
なんと、、、
本当になんと、、、
初参加の方16名を含む、
48名の方にご参加をいただきました
当然のことながら…
当勉強会始まって以来の、最多の、ご参加者数となりました
前日の夜、
いつものようにご連絡をいただいた方のリストを作っていて、、
何度数えても50名近くになってしまうので、
あれ
何が起きているのだろう
と、マークが頭の中をグルグルしておりました。。
そして勉強会当日、、
体調を崩されて欠席のご連絡をいただいた方もいらっしゃいましたが、
当日になり直接来てくださった方もいらっしゃり、
最終的に48名となりました。。
やはり本当だったんだと、
受付を毎回お手伝いいただいてる勝又理江さんと互いに手を取り、
そして、
たいがいの事では動じない小野先生まで…
いえいえ、小野先生が一番驚いていらしたかもしれません
あっ、、ご紹介が遅れました。
講師は小野善一郎先生です。
湯島天満宮権禰宜。
國學院大學兼任講師。博士(神道学)。
後ろから見た当日の様子です。
このお部屋が60人対応のお部屋で本当に良かったです
ご参加いただきました皆様、
こころより感謝申し上げます。
通算では今回31回目。。
最初の頃から通い続けてくださる方の
ブログやFacebook記事を見てご興味を持ってくださった方、
ご家族に誘われて、後からご姉妹やお母様、ご主人様が参加されたケース、
「とにかく行きなさい、と言われて来ました~」と自己紹介される方、
古事記、大祓詞というキーワードで検索して、当勉強会に氣が付かれた方、
きっかけはそれぞれですが、
小野先生のお話(古事記、大祓詞、新嘗のこころ)をお聴きしてこころが揺さぶられ、
自分の中で何かのスイッチが入った感覚になり、
繰り返し通ってくださる中で少しずつ、
本来の清明な一貫の魂の存在であることを確信していくことが出来る、、
この過程は、
皆様に共通しているように感じています。
この理(ことわり)が解ると、
どんな事が起きても、
恐れや不安、罪悪感という囚われから自由でいられて、
俯瞰して観ることが出来ます。
高天原は遠い神代のお話の事ではなく、
それぞれの今生きて存在しているこの場所、
そして自分のこころの状態のことなのだ、
とようやく腑に落ちつつあるこの頃です。
さて、
今回の小野先生のお話は、、
小泉八雲と教え子との間で交わされる、
先祖についての感動的な会話。
明治23年に来日した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、
松江市に、中学校英語教師として赴任。
明治27年、
転任した熊本にて、
松江時代の教え子の小須賀浅吉の突然の訪問を受けます。
浅吉は軍服姿で現れ、
翌日の朝鮮出兵を控えていました。
浅吉は、恩師に話します。
(以下、『東の国から・心』 『新嘗のこころ』より要旨抜粋)
「私たちは戦死した後、何も後のことを心配する必要がない。
それは後に残った妻子が死んだ人の供養をしてくれるからであります。
……
自分らは、死というものを、完全な別離とは思っておらんのです。
死んだものは、いまでも自分らといっしょにおると考えております。
そういう死んだ人たちに、自分らは、毎日話しかけております。
……
自分らは、死んでからも、家の人たちとはいっしょにいるものと考えております。
両親にも会えるですし、友人にも会えるです。
魂魄この世にとどまるのですからねえ。」
八雲は、小須賀浅吉のこの話を聞きながら、
彼が彼個人の気持ちに生きているのでないことを
痛感せざるを得なかったのであります。
近代個人主義は、
人それぞれ一個の人格であるといって
親と子、兄と弟、姉と妹それぞれ独立の人格であり、
同等の人格を有して相対峙していると考えます。
これに対して我が国の人間観は、小須賀浅吉のように、
私たちの「いのち」は父母の「いのち」と別個のものでなく、
父母祖先の「いのち」の延長と見るのであります。
一貫の「いのち」の中に入っているのです。
一対一の対立の意識はなく、
永遠の「いのち」に自分の「いのち」が融けて、
自分のうちに父母がいますと観じるのであります。
これが新嘗祭の眼目でもあります。
新嘗祭(大嘗祭)の根本とは、
自分の神霊に深く思いを寄せ、
先祖の神々の「いのち」と一つになること。。
私たちは祖先の神霊とともにあるという信仰。
(抜粋ここまで)
横浜勉強会でちょうどこの事を学んでいて、
個人的にではありますが、
また違う勉強会でも先祖に関する勉強をこの数カ月続けておりました。
ジツは、、
身内の実家の相続関係の案件がこの2年ほど全く進展せず、、
ついに昨秋、ご先祖様にこれまでの経緯を報告し、
「断捨離も先祖供養も思いつくことはやりましたが
力及ばずこのような経緯になってしまった事をお詫びします。
そして、この状況がご先祖様の本意であるならば、それを受け入れます。」
と、お伝えして、
その後すっかり手放し、放念したのです。。
それが、、
年が明けて、まさに今月、
いろんなことが重なり、
それはまさにオセロの駒が瞬時にひっくり返るような展開になりました。
今回のことで感じたことは、
顕在意識のたった5%の狭い枠で考えてるうちは、
本当にタカが知れている。
自我の世界であるということ。
すべてを放念し、手放し、委ねた先の世界が存在することを、
教えていただきました。
一緒にしては、大変失礼なのは承知ではありますが、
浅吉さんの心境に大いに同感しております。
案件がまさにご先祖様にかかわる事でしたので、
何か大いなる力を感じ、
またすべてのことはベストタイミングで起きていることも実感しました。
恒例のランチ懇親会(直会)には、
こちらも最多の30名の方のご参加をいただきました。
そして円卓を3台使用したのも初めてでした。
今回も、煌蘭さんに大変お世話になりました。
以前より、わたしの勝手なご提案で、
ランチ懇親会では、
小野先生のお隣やお近くは、なるべく初回の方に座っていただいてます。
そうすると、
必然的にずっと通ってくださる方にはその機会がほとんど無いことになりますが、
有り難いことに、皆さまに主旨をご理解いただいております。
このランチの時間帯に感じますのは、
いつもこの瞬間、この場所は高天原だな~~ということです。
皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
さて、
すでにブログがかなり長くなっておりますが、、
今月中頃の週末の出来事を、
ぜひシェアさせていただきたいと思いまして。。
その日、有楽町で高校の同級生とランチを終えて、
そこで別れた後に、
最近のお楽しみである《目的のないぶら散歩》を一人楽しむことにしました。
さてこれからどこ行こう
なんとなく東京駅方面に向かって歩いていると、
左手に皇居のお堀が見えてきました。
信号を渡り、そのまま進んでいくと、二重橋に突き当たりました。
そういえば、、
一般参賀や勤労奉仕では、二重橋は直接渡ってばかりでしたので、
絵葉書などで定番の真横からの景色はこの時が初めてでした。
はぁ~~、こういう位置関係だったのか~~
と、ひとり納得してしばし写真を撮っては、
中に入らせていただいた時の出来事をあれこれ想い出していました。
そのうちにそれを誰かに話したくなり、、
大変ご迷惑だったとは思いますが、
警備中の警察官の方に話しかけてしまいました。
特に、勤労奉仕で天皇皇后両陛下にご会釈を賜った時の感動的なお話を、
氣がつけばなんだか熱く語ってしまいまして…
はっと我にかえり、
お礼を言って先を進もうとしたところ、
その警察官の方が、時計を見ながら…
「もしお急ぎでなければ、ゆっくりお進みくださいね」
と最後におっしゃいました。
その指示通りに、景色や雲を眺めたりして進んでいくと、、
なにやら前方で警備の警察官の方が交通規制をし始めていました。
どうやらこの後、皇族の方がお出かけになるようでした。
お見送りをすることは可能だとのことでしたので、
わたしはその指定された場所で待つことに。
わたしの立っているすぐそばに若手の警察官が、
先輩警察官の指示を受けて配置につくなどしばし慌ただしい動きがあり。。
当然、他にも希望される通行中の方がいるものと思っていたのですが、、
誰も留まる人はなく、皆さんそのまま来た方向へ引き返していくばかり。。
あれ
もしかして、、
わたしひとり
刻々と時間は過ぎていき、
わたしひとり状態がほぼ確定の状況となりました。
この一対一の状況に耐え切れなくなり、
「あの~~、わたしここに居ていいんでしょうか?」
と若手警察官氏につい聴いてしまいました。
「あっ、はい大丈夫ですよ」
と、答えていただき、ちょっとホッとするも、
引き続き緊張の時間はつづく。。。
。。。
。。。。。。。。。
ふいに、、
若手警察官氏が
「もうすぐいらっしゃいます」
と。。。
まず先頭を白バイが1台、
わたしの辺りでスピードを少し緩めてくださったような、、
一台目の車にはSPの方、
そして、、二台目のお車には、、
美智子皇后様が
窓を開けられたまま、、
お手振りを賜りました。
わたしからはほとんど見えませんでしたが、
天皇陛下もお手振りくださってる事を確信していました。
なぜなら、
昨年の勤労奉仕活動の時に両陛下からご会釈を賜り、
お車でお帰りになる際に、
天皇陛下が美智子皇后様のいらっしゃる左側のシートに、
グッと近づいてくださったのです。
お二人が同じ位の距離で、ずっとずっとお手振りを続けてくださってました。。
この時のことは、生涯忘れることはないでしょう。
そして今回も、、
そこにたった一人しかいなくても、
いついかなる時も
国民とともにある
この事を、
その存在をかけて
在り方で
御示しいただいたのでした。。
時間にして…
一瞬の出来事でしたが、
しばらく感動で動くことが出来ませんでした。
ようやく視界から車列が消えるころ、、
若手警察官氏に、
「感動しました。ありがとうございました。」
と伝えて歩き始めました。
ジツは、、
皇居に行くたびに感じるのは、
警備の警察官の方や、宮内庁の職員の方々が、
いつもおもてなしのこころで対応してくださる事です。
職務に忠実であることはもちろんですが、
出来得る精一杯の範囲で、
あたたかく対応してくださるのを常々感じていました。
それはなぜなのか?
以前から疑問に思っていましたが、
今回の奇跡的な出来事で確信しました。
一番上の方の、
いついかなる時も
国民とともにある
この大御心が、
関係するすべての方のこころに行き渡っていると。。。
折しも、
小野先生より、特にこの「新嘗のこころ」を通して、
皇室と国民の関係性を勉強させていただいているこのタイミングで、
今回のような体験をさせていただいたことは、
とても意味深いことだったと感じています。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。