
7月に入った。もうきょうは6日だけれど。写真は7月はじめの四条烏丸。出勤前に撮った。
7月に入るとすぐに街は祇園祭の空気になる。お囃子の稽古も始まるだろう。
きのうは雨の大津での現代歌人集会春季大会に参加した。会場に到着してあれ、小ホールでいいの?と思う。中ホールも大ホールもあるのに。
河野裕子ーその歌と表現 というテーマ。きっと関西中心にたくさんの人が集まるだろう。
2Fの受付をすませてホールに入るとすでに満員。あとで閉会の辞で江戸雪さんも言ってたけれど、裕子さんは歌会でもなんでもぎゅうぎゅうが好きだった。広くてがらんとした場所より、ぎゅうぎゅうのほうが熱気があっていいのだろう。
確かに、会場に入ったら熱気に満ちていた。なかなかお会いできない人達ともあえて嬉しい。
島田幸典さんの基調講演。裕子さんの歌の表現について。「てにをは」の使いかたや字あまりしてでも譲れない表現。とてもわかりやすく導入にふさわしいと思った。
講演は栗木京子さんの「河野裕子の世界ー時間と空間の遠近法」。そのなかでも「何かが入ってくる歌、何かに入ってゆく歌」のところに私は共感した。恐怖とか不安を言葉にするとどうしても薄まってしまうけれど、煮詰めて抽出したらこんなふうになるんだろう。
・あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中あをぞらだらけ 河野裕子
・竹藪がわたしの身体に入るくる落ちかけの月が暗い夜なり
自分がなにかに支配されるような圧倒的ななにか。逃げ場がない。
・人の死がわが身にしみじみ入り来てとてもやさしい ええええと頷く
だけど、死が入ってくるときは恐怖ではなくやさしかったり、つい頷いてしまったりするほど親しい。まるで逃げてきた死を自分のなかで匿っているように思える。
これまであまり取り上げられてこなかった、アメリカでの暮らしのなかで生まれた叙景歌に注目されたところもよかった。読み過ごしていたけれど、栗木さんが解説されると目の前に広くて大きなアメリカの地が明るく現れる。
後半は大森静佳さん、門脇篤史さん、馬場めぐみさんによるパネルディスカッション。「河野裕子のうたを読む」。
裕子さんづくしの、裕子さんの歌の世界にどっぷりみんなで浸かるような一日だった。
外はずっと雨だった。からっと晴れ渡った日より裕子さんらしいのかもしれない。
すてきな充実したシンポジウムだった。裕子さんの歌を介して繋がってることを確認できたことがとても嬉しかった。