コロナ離職し、淡々と就活に励んでまいりました。

未来のない出版業界とはおさらばして、
障害者の支援員として再スタートします。
給与はかなり減りますが、子供たちの
教育費のメドがある程度ついたので。

自分が本当はなにをしたいのか、、
よーく考える時間がありました。

青年期に入社した頃の目標と、
40代・子育て中の目標は当然変わってきます。

最近の報道で
発達障害・自閉症スペクトラム・ADHDの
児童のうち、7%が適切な診断を受けずに
通級に通っている、というのがありました。

これまでは見える障害、つまり視聴覚、
身体、車椅子などが「障害」として認知されて
きました。

ところが、最近は医療技術の発達や労災や

交通事故の減少で身体障害者は減っています。

今クローズアップされているのは発達系の障害。

障害者手帳の取得を躊躇しない世の中に

なったのはよいことです。

最近はアスペルガーなども障害と認知され、
中にはずば抜けて能力がある子を「ギフテッド」
というそうです。ギフトは「賜物」。

 

昔ならただの「変な奴」「変わった子」。

 

我が家の息子たちも若干、自閉症スペクトラムや

多動などの症状が一時期ありましたが、

周囲の理解によって今は問題なく成長しています。

 

さて、旧約聖書には、身体障害者は「神の会衆に入れない」
とかなり保守的なことが書いてあり、
身体や知的障害は「神からの罰」

と根強く考えられていました。

しかし、イエスが地上に来て、障害者に対する
考え方を一変させます。
パリサイ派の教師が

「安息日(日曜日)に障害や病気を治すのはルール違反」
といちゃもんをつけたとき、

「あなた方は自分の家畜が穴に落ちた時に
安息日だからという理由で引き上げないのですか?」

と逆質問し、障害を持った病人を癒やしました。
 

実際、障害を持つ彼らと接していると実に
純粋でかわいい。
コミュニケーション能力がなくても、
ずば抜けた暗記力や記憶力。
計算力には脱帽します。

でも、目が合わせられない、おどおどした挙動。
当然、通常の職場では採用されず、
最低賃金以下で作業所(授産施設)で働く現実。
作業所では月数万程度の報酬。

これでは生涯自立はできません。
親は子供の将来が気が気でたまりません。

近年、企業では
「障害者雇用」で従業員の2.3%を雇うことが
義務付けられています。

来年度からは2.5%に引き上げ。
充足できないとそれに応じて一人あたり

約70万円の制裁金が課されます。

これを「法定雇用率の充足」と言います。

ただ、問題は雇用率充足のためだけに本人の

適性を無視して、障害者を健常者と同じように

働かせ、賃金を低く抑える、よろしくない

企業が沢山あります。

そういう企業は異口同音に
「利益を出さないといけない、結果を出さないと

いけないそんなに甘くない。掃除でもさせとけ」

 

「郊外に農園を設けて働かせればいい」


難しいのは理解できます。

でも、健常者の中にただ一人放り込まれた

障害者は厄介者扱いされ、居場所や相談

できる人がおらずに離職します。

うつ病等になり立ち直れなくなる。

そうした課題を解決するための定着支援を行う
仕事です。

人間、なにかしら障害を持っているものです。
なんらか必ず凸凹がある。
マルチタスクができて、何でもそつなく
こなし感情もコントロールでき、いつも笑顔。
そんな人材しか会社で生き残れない。

息苦しい社会です。

障害者との共存。誰もが輝ける社会。

口で言うのは簡単ですが現実は厳しい。
冷笑する人もいるでしょう。
でも、そんな青臭い理想を求めて、第二の

人生は未来ある若者たちを支えていくことに

決めました。

福祉の分野といっても正直、

団塊の世代のワガママな老人たちの

お世話だけはしたくない、という

黒い自分もいます(笑)

今回も長文お読みいただきありがとうございました。

 

好きで障害を持つ子はいません。

障害も個性として受け止められる

世の中にしたいですね。