さて、イスラエルの神が与えたルール、

十戒をはじめとする律法は国民を
守るものとなる一方、
多くの戒律ゆえ、すべての国民が
守ることはできませんでした。

ですから、
「その戒律を全て守っている」と
自称する律法教師なるものが特権階級
として存在するようになります。

日本で言えば
戦後80年近く、憲法を一言一句変えない厳格な解釈を
しか認めない憲法学者みたいなもんです。

イスラエルの神が戒律を与えてから約1500年。
その時代の流れで律法学者が幅をきかせるように
なっていました。

当時は紙などはありません。
聖書の写本は高価で、

巻き物も会堂に行かないと
見ることができませんでした。
それをいいことに律法教師たちは口伝で次々と
細かなルールを付していきます。


収穫の1/10を納める。
これをスパイスのかけらまで民に要求する。

安息日に、病気を治すこともダメ。
目の前で苦しんでいる患者を見殺しに
してでも安息日を守る。

コロナ対策を理由に病院に行けずに
死ぬこともお構いなしの中国政府みたい。

旧約聖書にはそんな理不尽な要求は
ありません。
勝手にマイルールを作って神との
関係を通せんぼ。

民を見下し「アム・ハーアーレツ」
(呪われた者たちの意)と呼んでいました。

本来であれば、神と人民を仲介する立場の
はずが、人々を虐げる存在に。

ですので、律法教師たちに
自尊心を損なわれていた民たちが
イエスの教えに慰められ、引き寄せ
られたのも当然でしょう。

しかし。

エルサレムで神学を修めたわけでもない
ナザレの田舎で育った、建具屋のせがれが
公然と律法教師たちを批判したことは
衝撃でした。

まさに「神をも畏れぬヤツ、
生かしてはおけない」となります。

イエスが30歳にしてヨルダン川で
バプテスマを受けて、イスラエル北端の
国境の町カペルナウムから、多くの人々に
教え始めたことで、律法教師たちは
脅威を感じ始めます。

それは、青森あたりでどこぞの若者が
霞が関や永田町の権威者たちに公然と
反旗を翻したようなもんです。

いわゆる「福音書」のかなりの部分で
律法教師たちとの対決が描かれています。

イエスの伝道活動は一般に
「神の国運動」と呼ばれますが、、
律法教師たちがメシアであるイエスを
頑なに受け入れず、民たちも彼らを
恐れて、イエスの殺害に加担したことで
二度目の「ディアスポラ(民族離散)に
つながっていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次回以降は、イエスと律法教師たちとの
激しいやり取りについて紹介したいと思います。

 

イスラエル北部の

カペルナウムで発掘されたシナゴーグ跡。

1階部分は男性、

2階部分は女性と子供、に分けられて

話を聞いたそうです。