聖都エルサレムを有する南の2部族からエルサレム滅亡まで
18人ほどの王様が登場します。

全部は紹介しませんが、良い王様として3人ほど。
それ以外はどうしようもない王ばかりです。

ここでは、アサ・ヒゼキヤ・ヨシヤの3人。

まずアサ王。
アサ王は、当時イスラエルにはびこっていた偶像や異教の神・祭壇を
打ち壊します。簡単に思えますが、彼らのほうが多数派です。
その改革は命がけだったでしょう。
それを祝福するかのように、外敵が侵入してもことごとく神の力で
撃退し、イスラエルは平和な時期を経験します。

しかし晩年、北のイスラエルの王が、南のイスラエルとの間に国境線を
引こうとします。警戒したアサは、北のイスラエルのさらに北の、シリアに使者を貢ぎを持って遣わし、
背後を突くように援軍を依頼します。

これに神が怒ります。
これまで数多の戦も私が助けてきたのに、この度は私を頼らなかった。
戦争が起きることになる、と。
やがて彼は病を得て亡くなります。

そしてヒゼキヤ王。
彼は残虐さで知られるアッシリア軍の圧迫を受け、勝ち目はない状況に
陥ります。この時点で既に、北イスラエル10部族がアッシリアに滅ぼされています。
ヒゼキヤは治世中、アサのように異教の神を排除し、民にイスラエルの神に
従うよう指導していました。
絶体絶命の状況で彼が夜通し祈ると、迫っていた敵軍18万5000人が一夜のうちに
天使が討ち倒します。
彼の存命中は平和な世が続いた、とあります。

最後にヨシヤ王です。
彼はヒゼキヤのひ孫にあたります。
8歳で即位し、十代に入って勇敢に、家来とともに国内を巡検して偶像や
異教の神・聖木などを一掃します。
勇気ある人物、として描かれています。

この期間のイスラエルは、目まぐるしく王様が変わり、
異教の神に頼っては神様の保護が取り去られ、外敵の侵入に苦しみ、
悔い改めて平和を享受するも、再び異教の神に頼って、の繰り返しです。

性懲りもなく・・・と思いますが、どうでしょう。
人間は見えるものにすがりたくなるのが人情、というもの。

少しでも稼いで、豊かな生活を送りたくなるもの。

偶像を一切禁じる神は目に見えません。
民全体が「見えない神に信仰を持て」と言われてもなかなか難しいかもしれません。
カナン人の男神バアル・女神アシュトレテ・アンモン人のモレク様は魅力的に見えたのでしょう。

ほかにも、イスラエル国民に課された命令がいくつかあります。

年に3回、エルサレムに上ってお祭りに参加せよ、というものです。
南イスラエル部族はさほど負担はありませんが、エルサレムから遠い部族は、かなりの負担です。
だって畑仕事を休んで何週間も家を空けるのですから。
さらに国境近くの部族は畑の収穫物を盗られる心配も。

しかし神は、それに従えば土地は守られる、と保証され、実際その通りになります。

それでも北に位置する10部族はエルサレムのかなり北にあるゲリジム山、という場所を
エルサレムに見立て、近所での参拝で済まそうとします。

もう一つは7年に一度、土地を休ませる、というもの。
安息日=日曜日の概念が年にも適用されます。言うなれば農業の連作障害の防止です。
種まき5年目までで6年目は収穫のみです。7年目は働けないので、そもそも6年目の種まきは行いません。
そして7年目は全くのお休み。
8年目は種まきは行いますが収穫はできません。
ですから、安息年に関係なく農耕ができるのは正味4年になります。
神様はその期間も困らないように地の実りを豊かにする、と約束されます。

また果樹も植えても3年目は収穫せず、4年目は神に捧げ、5年目にようやく自分たちが
食べることができました。

ちなみにイスラエルの七草と言われるのが、
大麦・小麦・オリーブ・ブドウ・ザクロ・イチジク・ナツメヤシです。

現在のイスラエルでも彼らの主食となっています。

 

上記の記述からキリスト教徒は、目に見えるものに頼りすぎてはいけないこと、

ピンチの時でも自分のできることをして神の助けを待つ(人事尽くして天命を待つ)こと

神の憐れみ・赦しを何度も試してはならないこと(仏の顔も三度)などを教訓として学んでいます。

長文お読みいただきありがとうございました。

 

バイキングで出されるデーツの実。(ナツメヤシ)

 

乾燥して暑いイスラエルでは国内のあちこちにザクロジュースの

スタンドがあります。10シェケル=300円。えぐ味が強いですが元気が出る味。

 

イスラエル北部のカペルナウムの遺跡にはイスラエルの七草を

あしらった彫刻が出土しています。