さて、ここまで書いてきて、最初に縷々と書いていた家督問題がないのはなぜか、
とお気づきの方がいるかもですね。

聖書には「釈(王権)はユダから離れず」とあり、引き続きユダの系譜が続いています。

エジプト大脱出を指導したモーセはレビ族、後継者のヨシュアはヨセフの子孫です。
ですので、モーセの書いた記録には出てこないだけです。

イエス・キリストを生み出すメシアの系譜は大事ですが、神はその時にふさわしい能力を
備えた人物を用いられます。日本や外国のように血統主義で無能な為政者によって
国や民族が衰退しないようにされます。

新しい指導者、モーセの後継者として任命されるヨシュアの名前が出て来るのは
エジプト大脱出を成し遂げてからまだ数か月後のこと。

ヨシュアという名には「神は救い」という原意があります。

欧米では「ジョシュア」というファーストネームが見られます。

そのヨシュアは、モーセの指導に忠実に従いつつ、次第に頭角を表してゆきます。

シナイ半島を大きく南下、北上しながら、やっとこさ約束の地、カナンの手前まで来ました。

神からはモーセを通して十戒というルールも授けられ、約束の地に入る気マンマンです。

しかし、「約束の地」というだけあってヨルダン川が流れる肥沃な地は一等地。アブラハムが
この地を後にしてしまってから、シレッと、カナン人、アモリ人、フィリスティア人などに
占領されてしまいました。

ですから、まず彼らに立ち退いていただかなければなりません。
彼らの多くは今のパレスチナ人の先祖?であり、紛争のタネになっています。

どうやって立ち退いてもらいましょうか。話し合いはムリです。
神様は一人残らず殺してしまうよう命令します。

なんて残酷な神だ、好戦的な神だ、と思われますか。

当時の彼らは、殺人、同性愛、小児性愛、祭りでの生贄、乱交・獣姦とお下劣な行為のオンパレード。
人としてありえないくらい堕落していました。
なにせ戒律もなく、やりたい放題ですから。

堕落した部族自体を滅びに定めたのです。女子供すら容赦してはいけない。
腐ったリンゴ、の理論です。
それでも、真の神を畏れ、イスラエルの神に従おうとする者は容赦されます。

前の記事でも書きましたが、ヘブライ人はもともと武器を持っていません。
戦闘経験はほぼなしです。

モーセの命令に従い、各12部族を代表してヨシュアを含む12人の男子がカナンの地を偵察に行きます。

ヨシュアはモーセのもとに戻った時、カナンの地の実りを大量に持ち帰り、素晴らしい土地です、と報告します。
カレブ、という男性も同様です。それで貧弱な装備しかないが、神を信頼して約束の地に入ろうと民を鼓舞します。

しかし残りの10人は
「いや、カナンの地には屈強な民族が沢山いる。あんな彼らと戦って負けたら残酷な目に遭う。引き返すべきだ」
と怒りだし、ヨシュアとカレブを殺そうとさえします。

また「リーダーを立ててエジプトに戻ろう」と多くの民がネガティブ思考に陥り、離反します。

それを聞いた神は怒りに燃え、
「ヨシュアとカレブの親族、未成年者を除き、あなた方は40年、荒野をさまようことになる」
と告げます。

民の相当数が入れないことになりました。
そんなことってアリですか?

民の多くはこの数か月で、文句を言ったり反抗的な態度を取り続けました。
未成年者が除外されたのは、彼ら自身が親の監督下で、意思表示をしていなかったことによります。

つまり、離反した彼らがこの40年の間に死に絶えるようにされます。

その40年間、彼らはシナイ半島の東部を周回するようにさまよいます。

そんな彼らをモーセは死ぬまで面倒をみることになります。

ヨシュアはこの後、約束の地カナンを征服するために、生涯の多くを戦闘に費やし、
民を励まし続けることになります。

蛇足になりますが、西ドイツの大統領、故ワイツゼッカーの演説で「荒れ野の40年」という名演説があります。
「過去の戦争責任に目をつむる者は、現在に対しても目を閉じている」というもので
1945年から約40年、ドイツはナチスの犯した罪と向き合い続けるべき時間であった、と説きます。
自分たちが犯した罪と内面を引き続き見つめ続けるべき40年であった、という聖書から着想を得た教訓です。

ここまでの長文、お読みいただきありがとうございました。

 

現在のヨルダン国境から見下ろすヨルダン川西岸の肥沃な緑地帯。