足利というまちは、前に記したように買継商や中小企業主などの個人事業者のまちで、個人としては優秀ななのですが、オレはオレの意識が強すぎて、みんなと”共同で何かをやる”ということとがたいへん苦手でした。よって、これまで規模の似た周辺都市間の戦いにはことごとく敗れてきました。ながいこと県内第二の都市だったにもかかわらず。地理的・文化的にも宇都宮市など栃木県主部からは孤立していたため官公庁は少なく県からの支援も厚くはありませんでしたました。そのため足利人の役人嫌いは有名で、また県の職員も言葉風習が異なる足利への転勤を嫌がる傾向がありました。高校時代は宇都宮以北(県北)の高校から転勤してきた先生の”栃木なまり”を直してやるのが生徒たちの役目だった。
足利市南部の東武伊勢崎線福居駅近くの例幣使街道八木宿発祥の八木節は、足利市と栃木県が無策だったあいだに、群馬県の県をあげて振興によって東毛地区の郷土芸能として群馬県に盗まれ、足利発祥のイモフライは佐野の、ポテト入り焼きそばは太田の、B級グルメ、ソウルフードとされてしまいました。ソウルフードとしてある程度知られているのは”足利もんじゃ”くらいではないでしょうか?これとて群馬の伊勢崎が急速に追っかけています。
東隣りの佐野は、足利と状況は似ているものの商売上手で、ラーメンの町としての町おこしや、鉄道交通の不便さを逆手に取って東北道佐野藤岡インタを生かしてバスセンターの設置、大型アウトレット―モールの誘致など行政による新しい街づくりに成功しましたが、足利ではそのような動きはありませんでした。
というわけで、足利のB級グルメについて
足利は昔から織物工場の職工さん、女工さんを対象とした屋台が盛んでした、そのせいか、いまでも全国に珍しいコーヒー屋台を有名になっています。
ちょっと有名になったコーヒー屋台
やきそば屋台はたいへん多く繁盛していました。足利にはソースメーカーが数社あって、その販売促進を兼ねてメーカー専属の屋台の焼きそば屋さんがリヤカー曳いて市内をめぐりていました。
焼きそばのほか卯でたじゃがいにをソースをあえて炒めた”ポテト”、ポテト入り焼きそば、お好み焼きなどを売り歩いていました。また、鑁阿寺境内で営業している飛駒屋などの売店は、串に刺したポテトを衣をつけて揚げたイモフライを販売していました。これらは足利・桐生から両毛地方の各都市に伝搬しました。
イモフライの発祥の地は佐野ではなく足利のはず
いま市内唯一をされる焼きそば屋台
ポテト入り焼きそばも太田ではなく足利のソウルフードのはず
つづいて、
足利もんじゃをご紹介します。足利では”もんじ焼き”と言います。語源は”文字焼き”で、東京の方が訛ったものと考えられます。
私が小学。中学生のころは、旧市街ではほとんどの町内にもんじ焼き屋がありました。たいていは、家庭の主婦が家計の足しにとサイドビジネスとして子供相手に開いていました。駄菓子屋を兼ねていたり、友達のお母さんが店主だったりする例もありました。
足利もんじゃは東京のような”土手”は作りません。ただそのまま鉄板に流します。
いかにしめします。ひっくり返すこともありません(技術的に不可能)。
典型的な足利もんじゃの流し方
実際をお見せします。注文をすると下のようなボールにだされます。薄く溶いた小麦粉(お好み焼きに比べて水が多く薄くてサラサラ)
具は千切りキャベツ+天かす+青のり(+紅ショウガ)が基本で、味はソース・ショウユを選択 プラス:お好みの具 生卵・さきイカ、あり
某もんじゃ焼き店
きわめてシンプルな例
以下私の実食例を
具(トッピング)だくさんを欠く混ぜた例(八幡町きゃべつ屋)
それを鉄板の上にべちゃっと流しコテ(へら)で伸ばしたりかき回したりします。
くどいようですが、しつこいようですが足利もんじゃは土手を作りません
ある程度焼けたら大コテ、小コテでこねてもよい。半生状態で食べる
薄く延ばしてカリカリにしたものを”せんべい”と呼ぶ。
この作り方が上手いとたいへん評価される
めいめいの小コテ(しゃもじ)ですくって食べる。ちなみに食べているのは私
食べているうちに暑くなってくるのでサイドメニューとして飲み物、寒天。あんみつ、トコロテン、夏はかき氷)などがあります。
本格グルメはあまりよくわかりません。
足利は、うまい店が多いと言われています。私は隣に桐生の方が上だと思いますが、二十歳前に足利を出てしまったので、大人が行くようなうまい店にはほとんど行っていません。
最も有名な店は本城3丁目にあるそば処一茶庵ではないでしょうか?全国から蕎麦職人希望者が修行に来る店です。しかし、私は2.3回しか行っていませんのでうまいかどうかは知りません。
足利にいたときは、近所のそば屋から出前を取っていたので、行く機会もほとんどなくなく印象は薄いです。わざわざ食べに行必要もなかったです。まあ全般に、足利のそば屋のレベルは高いと思います。
蕎麦専門誌に載るほどの全国区有名店だそうです
一茶庵
蕎麦を味あうなら、はシンプルな”もりそば”そばがいいのでは
足利にはうなぎ屋が多くてうまい印象があります。これも子供のころは出前で頼んでいました。鳥常(とりつね)と鳥伊(とりい)が多かったような気がします。おずれも”鳥”がつくのすが、うなぎが主体で鳥丼もだす店といったスタンスです。
鳥常は鳥常本店、鳥常支店、鳥つねとあって、よく出前を頼んだのは、鳥常支店(すでに閉店か?)で、よく行くのは緑町の鳥つね。鳥伊も本店・支店があって出前を頼んだのは、支店の方だったと思います。鳥伊は店にはいったことはないと思います。味は鳥伊が少し上か?
緑町の鳥つね
鳥つねのうな重・上
通り2丁目(だったか?)鳥伊支店
私のおすすめは、通り2丁目劇場通りの銀釜の釜めしです。ここは実家に極めて近いの(歩いて数分のとこなので)熱々で届くので、出前を頼むのが普通でした。
銀釜店舗
五目釜めし
山荘・旅荘
足利には郊外の山麓に別邸のような大きな屋敷の料亭がいくつかあります。庭園の草木を愛でながらおいしい料理を楽しむといった感じの大人の社交場です。カントリーハウスとでも言いましょうか?場合によっては宿泊も可能です。織物業が盛んだったころはこのような多くて旦那衆が盛んに利用したのではないでしょうか?
代表的なものには、巌華園(がんかえん)、古梅山(こばいさんそう)、蓮岱館(れんだいかん)などがあります。古梅山荘は、本城二丁目のこじんまりした店ですが、残念ながら休業中(廃業)のようです。
巌華園は北の郊外月谷町の山麓にあって、渡辺崋山ゆかりの最もカントリーハウス的な旅荘です。国に有形文化財に指定されており、旧制足利中学校(現:栃木県立足利高校)出身の作家・檀一雄も愛用していたたそうです
なかで食事をしたことは実はないのですが、なぜか大学のテニス部がここで合宿していて、差し入れに行ったことがあります。大学生が合宿で利用できたくらいですから、敷居は高くはないと思います。今度足利に帰った際には寄ってみます。
巌華園
蓮岱館は、緑町の足利公園内にあり、洋風懐石料理を売りにしています。市中心部に近くたいへん便利で、ちょっとした会合、結婚式、法事等によく使われています。私も法事・同窓会等で何度も使わせていたいただきました
私の友人の経営すので足利にいらした際には気軽に寄ってみてください。ランチ・コーヒー一杯でもOKですので、個室でゆっくりくつろぐながらの楽しんでください
蓮岱館
コーヒー程度でも
会合等で利用の広間モ社
ゆったりとした個室
お菓子・お土産
お土産というようなもはあまりないですね。唯一に思いつくのが、通り4丁目の香雲堂本店の古印最中です。実家に帰った際にはいつも寄ってゆきます。
他には、思いつきません。
通り4丁目香雲堂本店
古印最中
私は、せんべい(草加煎餅などの関東風の米菓)には目がありません。かつて足利には多くのせんべい屋がありました(近所にもおばあちゃんが一人で焼いている店がありました)。一番気に入っていたトンネル通りの大塚せんべい店は廃業してしまいました。
いまのお気に入りは、田島町の森田屋のうす焼きせんべいです。他は昌平町の雷神堂、八幡町の八幡屋あたりでしょうか?
森田屋のうすやき煎餅
雷神堂店頭
八幡屋(タレントの手島優の実家)
まあこの辺でやめておきましょう。数回で終わる予定がこんなにも長くなってしましました。改めて故郷・足利の勉強になりました。