かつての足利は繊維業を中心とする経済的先進地であって、多くの銀行が軒を連ねていました。

 

足利を本拠地としていた足利銀行は、戦後県内の中小銀行を吸収して、栃木県第一地銀の地位を確立して、栃木県各自治体の指定銀行となりました。また群馬県東部(東毛地区)にも展開し、桐生市では第一地銀の群馬銀行を凌いで指定銀行の地位にあります。その本店足利市にありました。

 

県のNo.1地銀(第一地銀)の本店が、県庁所在地以外にある(あった)のは、栃木県の足利銀行(元本店・足利市)、静岡県の駿河銀行(本店・沼津市)、山口県の山口銀行(本店・下関市)くらいのものでしょうか?確かめてはいませんが。往時の県庁所在地との経済力の関係を物語っているのかもしれません。

 

1967年本店がに宇都宮に移転した後も、”あしぎん”と親しまれた名称はそのまま引き継がれました。それにより足利経済人のプライドも保たれました。移転後もその建物はしばらく足利支店として継続し、市民からは”足銀本店”と親しみを込めて呼ばれていました。

 

ところで、足利に現存する都市銀支店は、旧富士銀行のみずほ銀行足利支店のみです。

しかし、過去には第一銀行(→第一勧銀→現みずほフィナンシャル・グループ→現みずほ銀行)、神戸太陽銀行(太陽銀行→現三井住友銀行)、協和銀行(協和埼玉銀→→現りそな銀行)の4行がありました。

 

それだけ往時の足利は経済活動が活発だったのです。1960年代には工場出荷額は北関東2県でNo.1を誇っていました。しかし、今は見る影もありません。おそらく、太田、桐生、足利、館林、佐野の両毛5市の中で最下位でしょう。

 

それらの足利にあった銀行跡を見て歩きます。

 

地理院地図より

 

雪輪町の実家(A)をスタート

 

雪輪町の実家から陣屋通りを抜けると、旧足利銀行本店に突き当たります。旧足銀本店は、通り3丁目の一番東側にあります。かつて栄華を極めた足利の経済力を象徴する建物でもあります。

陣屋門前の旧足利銀行本店B)かつての威容をいまも伝えている

 

重厚な石造りの旧足銀本店だが、いまは足利商工会議所として使われている

 

旧足銀本店東の小路、通り2丁目(左)3丁目の境で、ここには飲食店が多かった

 

その小路にはこんなレトロなお店も

 

旧足銀本店の裏側

 

南側の敷地は空き地・駐車場となっている

 

 

旧第一銀行足利支店は、足銀本店のやや東の通り2丁目にありました(C)。足銀本店に負けない大きなビルであったと記憶しています。

実家から行く場合は、東映の封切館だった有楽館、釜めしの銀釜のある小路を南に行きます。銀釜はいまも健在で、ここの釜めしはお勧めです。出前にも対応しています。

合併により、第一勧業銀行足利支店となったあと、第一勧銀は2000年にみずほフィナンシャルグループに入り、みずほ銀行に統合されました。よって、みずほ銀行足利支店として残ったとも言えますが、足利からはそれ以前に撤退したのではないでしょうか?そのあたりに詳しい方はお教えください、

写真左側の建物が旧第一銀行足利支店、右はいまも健在の小林電気店

 

「大雄建設」との看板のあるビルが旧第一銀行足利支店

 

ネットから、往時の第一銀行足利支店写真が見つかりました。

著名な建築家設計の建物だった

その内部、いかにも古い銀行といったスタイルだった


 

そのはす向かいには、太陽神戸銀行足利支店D)がありました。日本相互銀行→太陽神戸銀行(となって都市銀に昇格)→太陽銀行となったあとに足利から撤退。

旧太陽神戸銀行足利支店は学習塾その他となっている

 

そのやや東の交差点の南東にあるのが旧富士銀行で、唯一健在の都市銀であみずほ銀行足利支店です。

通り2丁目交差点、旧市街では一等地に今も鎮座

 

そのはす向かい()には高島屋ストアがあっが、今は空き地

 

みずほ銀行足利支店から東、通り1丁目方向にむかう

 

旧国道50号線をひがしに通り1丁目に行くと、大門通を過ぎ足利学校の参道の東に協和銀行足利支店がありました。

 

協和銀行足利支店は、協和埼玉銀行足利支店→りそな銀行足利支店→りそな銀行妻沼(現熊谷市)支店足利出張所と変遷したのち、やはり撤退。

右側の建物が旧協和銀行足利支店、奥は旧跡足利學校

 

いまは足利まちなか遊学館となっている

 

以上足利には、地元発祥の足利銀行、都市銀各行、栃木銀行、群馬銀行、埼玉銀行などの地銀支店、足利信用金庫(現足利小山信用金庫)など各信金が、さらにはいくつかの生命保険会社、証券会社が通り2丁目を中心に1丁目、3丁目に軒を連ね一種の金融街をつくっていました。

 

かつての足利は、興国化学(現アキレス、足利発祥)、日紡(ニチボウ→ユニチカ→ユニイースト)、日本レーヨン(→東レ)、東京繊維、東京三洋などの大工場や銘仙、毛織物、化学繊維(トリコット:死語)などの繊維関係の地場中小工場、蝶理などの繊維関係大手商社、中小繊維取次商、繊維関係機械店などが立地し、経済活動が盛んでした。そのため、都市銀も進出し、金融業も栄えていました。

 

しかし、ユニチカ、東レなどの大工場は撤退、地元繊維業界の衰退、それに伴い高島屋の撤退をはじめ中心商店街も衰退。さらには都市銀、埼玉銀の撤退と悪循環に陥ってしまい経済は冷え切ってしまいました。威容を誇っていた旧足銀本店にあった足利銀行足利支店も、今や足利の商業の中心地となり、郊外型大型店も進出している渡良瀬川南岸の田中町に移転してしまいました。

 

かつての経済的繁栄の痕跡は、足利の飲食店はレベルが高く、各地に散在していることくらいではないでしょうか?