今世界にいくつの国があるかわかりませんが、単民族国家なんて多分ひとつもないと思います。

 

日本や韓国は比較的単民族国家に近いとは思いますが、ただ程度だけの問題です。

 

W杯出場チームの民族構成を見てみることは私にとっては大変興味があるところです。

 

いまサッカー(とは限らないが)のナショナルチームの多民族化は進行する一方であるような気がします。例えばドイツ、1974年の自国開催で優勝した当時の西ドイツ(当時)の選手は全員白人のゲルマン系ドイツ人でした(ひとりユルゲン・グラボウスキーだけはポーランド系)。しかし今回のドイツチームはトルコ系やスラブ系、アフリカ系など多民族化しています。

 

他方、アフリカ諸国代表では、アフリカから西欧各国に移住した者の二世をリクルートして自国代表に加えています。カメルーン代表のドイツ生まれマキシム・シュポ・モティングやガーナ代表のスペイン生まれのイニャキ・ウィリアムズなどがそういったケースです。

 

 

まずは、今回のイラン代表を見てみます。ウェールズに対して勝利を上げましたが、アメリカに敗れ決勝トーナメントには惜しくも届きませんでした。

 

イラン・イスラム共和国の民族構成はペルシャ人が51%アゼルバイジャン人が25%、残りはクルド人その他となっています。ペルシャ人の割合が半数にすぎないのは意外です。

 

イランの民族分布

 

しかしいまのイラン代表の民族構成を探るのは易しくはありません。顔貌や体型で見分けるのはほとんど無理です。

 

ただ控えゴールキーパーのアドブサデーは、やはりイラン代表GKだった父親がアゼルバイジャン人であることがわかっています。

 

濃い顔の選手が大部分のなか、アリ・ダエイに次ぐイラン代表通算ゴール数を誇るエースのサルダル・アズムンだけが、直毛に近く(額に前髪がかかる)髭もがそれほど濃くなく異質な感がします。実は彼は実はトルクメン人なのです。トルクメニスタンと国境を接する東北部を中心に推定130万人ほどのトルクメン人がイランに住んでいるそうです。

イランのメッシとも呼ばれる現イラン代表ストライカーのサルダル・アズムントルクメン人

ルビン・カザンの元監督グルバン・ベルディエフ、手に持つ数珠がトレードマーク

 

アズムンは十代でロシアのルビン・カザンに移籍し、ルビンの攻撃の柱として活躍しました。彼がなぜロシアのチームに移籍したかというと、当時のルビンの監督のグルバン・ベルティエフがトルクメニスタン出身のトルクメン系ロシア人であったからです。のちアズムンは金満クラブのゼニト・サンクトペテルブルグに移籍しました。

しかしいま、ロシアのクラブがFIFA/UEFAのコンペティションから事実上追放されているので、今シーズンからはドイツのバイヤー・レバークゼンで活躍しています。

 

先ほど、イランの伝説的選手であったアリ・ダエイホダダド・アジジについて書きましたが、代表で100以上のゴールを決めているダエイアジェルバイジャン人でした。

またスピードあるドリブル突破とカットインシュートが十八番(おはこ)だったアジジは、東アジアのモンゴロイドの顔貌・体型(身長170cm)をしていました。彼は東部のマシェッド出身なので、近くのアフガニスタンに多くイランにも少数が暮らすハザラ人ではなかったかと思います(サッカージャーナリストの後藤健夫氏はトルクメン人と記していたが)。

ジャッキー・チェンではありません、東アジア顔の元イラン代表K.アジジ

典型的なハザラ人

 

さらに、1978年の初出場の時にはエスカンダリアンというアルメニア人選手もいました。なた2014年大会でもイラン系アメリカ人やキリスト教徒のアルメニア人がメンバーに名を連ねていました。

 

ということで、イランナショナルチームの民族構成は、国内の複雑な民族事情を反映して、(ペルシャ人+アゼルバイジャン人+他の少数民族系)という構成が基本なっているものと思われます。

フレディ・マーキュリーではありません。イランの英雄アリ・ダエイアゼルバイジャン人

 

余談ですが、学生時代の春休みにイギリス・ボーンマスの英語学校に通ったことがあります。

そこで一緒だったイラン人の女の子は、英語/トルコ語辞典を持って勉強しているのが不思議でした。今思うと彼女はきっとトルコ系のアゼリー語が母語のアゼルバイジャン系のイラン人だったのでしょう。

彼女の他、リビア人、ドイツ人、フランス人、スイス人、フィンランド人などがいて大変楽しかった。

当時、かの地のAFCボーンマスはイングランド3部に低迷。隣町のサウサンプトンに行って1部のサウサンプトンFC(セインツ)の赤白のマフラーを買ってきました(いま行方不明)。