今月始めのコンターサークル-Sの「下北の旅」はいろいろな発見があって、相棒に恵まれたこともあってとても楽しい旅でした。
久々にJR大湊線の大湊駅をたずねたこともそのひとつです。
大湊駅、以前に乗降したことがありますが、それがいつだったかは思い出せませんが、この駅でレンタカーを借りたので、2011年以前のことだったと思います。
その時は夕飯どきだったので駅前にあった寿司屋に入り、ショーケースを見て店の板前さんに「ここのネタって、北海道とほとんど同じだね」なんて言って。ホタテやホッキ、ウニなどの海鮮丼食べビールを飲んだ記憶があります。
今回訪れてみると、当時とは駅舎も建て替えられきれいななった様に見えました。
国土地理院5万分の1地形図 むつ(昭和52年)より 大畑線も記されている
大湊駅駅舎
旧大湊駅舎 以前乗降したのはこの駅だった
入り口拡大
大湊駅構内
大湊駅前 以前に寄った寿司屋はどこだったのか?
下北駅・大湊駅間の田名部川橋梁を行く大湊線気動車
駅のあるところは、いまはむつ市となっていますが、以前は大湊町という自治体でした。
軍港と軍人の町「大湊町」は、東隣りの商業と公務員の町の「田名部町」という性格の異なる町と合併して一度は「下北市」となりますが、紆余曲折の末、日本は綱ひらがな市名の「むつ市」となったということです。
Wikipediaではそのあたりを
- 1955年(昭和30年)3月3日 - 大湊・田名部両町合併推進協議会は、新市名を「下北市」と決定[2]。
- 1956年(昭和31年)9月26日 - 大湊・田名部両町議会で合併決議をしたが、佐々木由吉大湊町長が大湊町議会議場から雲隠れ。「下北市」(仮称)が頓挫[3]。
- 1959年(昭和34年)9月1日 - 下北郡田名部町と大湊町が合併、青森県8番目の大湊田名部市(おおみなとたなぶし)が誕生。当時、日本一長い名称の市(5文字)となる。読み仮名の8文字も当時大和郡山市と並び最長だった。
- 1960年(昭和35年)8月1日 - 市名をむつ市に改め、日本初のひらがな名の市となる。
と記しています。
”佐々木由吉大湊町長が大湊町議会議場から雲隠れして、「下北市」(仮称)とする合併が頓挫してしまった”というところがすごいですが、帝国海軍の軍港であったプライドの高い大湊が、商人町の田名部と合併して「大湊」の名が消えてしまうことに佐々木町長は耐えられなかったのでしょう。
性格の異なる自治体、あるいは、同じ規模の自治体同士の合併というのは、新市名をどうするかで昔も今も”もめる”わけですね。
平成の大合併においても、伊予三島市と川之江市の「四国中央市」とか、水沢市と江刺市の「奥州市」とか、苦しまぎれに批判の多い奇抜な(?)市名をつけるわけですが、「川之江三島市」、「水沢江刺市」では、長すぎるのと、どちらを先にするかでもめるのは必至なので、双方のメンツを立てて”中立的(抽象的?)”なつまらない市名に落ち着くわけですね。その”さきがけ”が「むつ市」だったのではないでしょうか?
陸奥(むつ)といえば、旧陸奥国(青森県の全域と岩手県の北西部)のことで、誇大広告ですが、むつ市の”むつ”は”陸奥湾”からとられたのでしょう。でもやはり「下北市」の方がふさわしかったように思えますが”下”という字を嫌ったのかもしれません。しかし今では「むつ市」はすっかり定着している様です。
というわけで、大湊駅のある大湊地区は旧帝国海軍では横須賀、呉、佐世保、舞鶴に次ぐ重要な軍港として栄えたところのなのです。とりわけ北方の守り(対ロシア/ソ連)として重要視されたわけですが、より北にある北海道の室蘭を押しのけて大湊が選ばれたのは、陸奥湾の奥にあって直接攻撃を受けずらいこと、砂嘴に囲まれ天然の良好であったということだったようです。
砂嘴・芦崎の先端
砂嘴・芦崎の中間部 自衛隊基地内で一般人は off limit
自衛隊艦船が横たわる
海上自衛隊旗(旧帝国海軍旗)が風になびく