5万分の1地形図 岩見沢(昭和44年) より

 

美唄市の我路(がろ)地区以東は、東美唄とも呼ばれ、三菱美唄炭鉱を中心とした炭鉱の町でした。炭鉱最盛期には東美唄地区だけで約3万人の人口を擁していたそうですが、今は住民はほとんどいません。

東美唄地区概念図

 

旧我路郵便局

 


月見台地区にある慰霊碑

 

美唄炭鉱記念館

 

さて、三菱美唄鉄道の終点常盤台駅付近は三菱美唄炭鉱の主要部でした。そこは以前の夕張同様に、狭い谷を炭鉱施設と斜面に広がる炭鉱独特の風景が拡がっていたということです。人口2万人近くを擁したそこはいまでな無人地帯となっています。

 

炭鉱施設のほとんどは整地され「炭鉱メモリアル森林公園」となり、竪坑以外には何も残っていないように見えます(実際以前行ったときには、何もないだろうと引き返してしまった)。

しかし実際に足を進めてみると様々な施設が残されています。

竪坑を中心として、整地され公園と化している

 

 

 

 

 

二つの竪坑

竪坑内部

竪坑越しに空を見あげる

 

原炭ポケット跡

 

開閉所(送電線の受・送電を行う施設)跡

竪坑の脚と開閉所

 

ところで常盤台の炭住跡はどうなのか?とさぐってみた。

公園横の林道を行く

炭住街は埋められ植林され自然に還ってしまった様

 

参考として以下の映像があります。