昨日、上り特急宗谷で札幌に帰ってきました。

 

乗車券は、稚内駅から乗車のものでしたが、駅舎だけが妙に近代的で、中は一面一線の現稚内駅にはまったく魅力を感じず、時間もあったので一つ先の南稚内駅から乗車することにしました。駅舎のつくり、2面3線の広い構内など南駅の方がずっと風格を感じるからです。

新しいだけでつまらない稚内駅はパス(2016年9月19日)

 

稚内駅(D)と南稚内駅(A) (国土地理院2.5万分の1地形図「稚内」平成7年発行より)

 

南稚内駅(2018年8月19日)

 

駅の位置から言えば、南稚内駅(A)の方が宗谷振興局(旧宗谷支庁)などの官公庁や学校、住宅街に近く,、特急を含め全列車がこの駅に停車しますので稚内市の代表駅としてもいいような気がします。しかし、観光客はフェリーターミナルが近い終着の稚内駅(下の地図 D)で乗降しますので南稚内駅は地味な存在ですね。駅員配置、みどりの窓口設置、タクシー待ちあり。私は12年前にもこの駅で降車したことがありますが、それは宿泊先が稚内駅より南駅の方が近かったからです。

 

1989(平成元)年まではこの駅から天北線が分岐しており、機関区もあって宗谷本線北部の運行上の拠点駅でもありました。

 

南稚内駅入り口

駅舎内より2番線留置のキハ54系を望む

2面3線ゆえに古めかしい跨線橋がある。

1番ホームに入線する上り特急宗谷、今は一日一往復となった札幌行き

駅前は広く近くに官公庁が多い。駅前の船員会館 一般客歓迎とあるので今度泊まってみようか。

今でもダンパなんてやってんだ。

官公庁かが近いとあって、駅近くにささやかな飲み屋街がある。だが日曜のため人通りなし

用務客が多いのか駅前旅館上がりのホテルも駅近くに数軒 宿泊の穴場かも。

 

稚内鉄道変遷 (国土地理院2.5万分の1地形図「稚内」平成7年発行より)

 

さて、一般には南稚内駅は元の稚内駅とされますが、場所は違います。

1922(大正11)年開業の初代稚内駅は実は上の地図のB地点にありました。頭端式の立派な駅だったようです。

1928(昭和8)年にここから北方に新線が伸び現稚内駅(D)が稚内港駅として開業しました。列車は一度南方に引き上げスイッチバックで新駅に向かったそうです。しかし稚内町代表駅の座は安泰でした。いまの地図で見るとBからCに向かって右にカーブして国道40号線をオーバークロスしているのは当時の名残でしょう。

 

旧稚内/南稚内駅の航空写真

歩王(あるきんぐ)さんのブログよりhttps://ameblo.jp/aru-king/entry-12169464365.html

 

1939(昭和14)年、稚内港駅を稚内駅、稚内駅を南稚内駅と改称。この時点で南稚内駅は稚内の代表駅の座を降りています。

 

ところが、1952(昭和27年)に、(新)稚内駅と南稚内駅が近すぎるということで天北線(当時北見線)との分岐点まで約1km後退して現在地(A)になったそうです。

 

よって南稚内駅は初代駅の駅名を継承したことは事実ですが、初代稚内駅とは場所が違っているということです。(初代駅は現稚内駅と南稚内駅とのほぼ中間にあった)

 

このように、新線開通によって代表駅を譲った例としては、函館本線の小樽駅と南小樽駅、鹿児島本線の西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)と鹿児島駅などがあります(新、旧の順)。