北海道・苫小牧北の早来町(現安平町)の室蘭本線・早北駅から東へ、厚真町中心部、さらにその北東の幌内まで早来東部の給料を越えて762mmゲージの軽便軌道の早来軌道(早来鉄道)が走っていました。
図1.陸地測量部5万分の1地形図 早来(昭和5年発行)目をこらすと、早来・厚真間に軌道のマークが見つかる。
図2.国土地理院5万分の1地形図 早来(昭和51年発行)鉛筆の矢印がほぼ軌道跡
その跡を歩きに行ったのは1995年の6月。朝の集合場所は、JR千歳駅。千歳駅で厚真行きバス
に乗り換えました。
千歳駅を出たバスは、新千歳空港に立ち寄った後、牧草地帯を抜け馬追丘陵を越えて早来駅に到着します。この時の参加者は堀さんと私を含め6名程度だったと思います。
早来駅の北方から歩き始めます。天候はあいにくの雨。梅雨のない北海道ですが、しとしととした6月の雨の日でした。
図1.2.を見比べればわかるように、早来鉄道跡は早来から東北東に延びる実線の道として残っています。とりわけ東半は軌道跡と道路がおおむね一致しています。
しばらくすると心地よい砂利道をに上りとなります。周りはカラマツと広葉樹の人工林で、北海道の6月とあって新緑と雨にあたって黒くなった幹とのコントラストがくっきりとしています。
早来側は手前は早来町(現安平町)ふるさとの森になっているようです。途中電柱跡か、苔むした切株が沿道にありました。
しばらくのぼると、もうすぐサミットに到着
M「今まで結構な勾配の峠越えのルートを良く鉄道のぼれましたね」
H「まあ、軽便だから車両は軽いし、下りはブレーキを調節しながら重力で下れるから、結構な勾配でも大丈夫じゃないんですか。初期の頃は馬にひかせたんでしょうし」
M「林鉄は結構な急カーブときつい勾配があったようですね」
H「なんせ、レール、路盤の規格も貧弱だからね。それにたいてい上りは空荷だからね、下りは逆にブレーキを調節する船頭が乗る。それでも操作を誤るときがある。千歳の王子製紙の軌道なんてよく脱線してたんです。僕の乗った時も脱線して死者も出た。脱線してもみんなで客車をよいしょとレールにもどせばよかったんです。貨車だったらとりあえずは線路わきにぶん投げておく」
サミット付近を行く
下りも尾心地よい林間の道、カラマツ特有の松やにのかおりが漂う
カラマツの森
沿道にオオバナノエンレイソウを発見
あともう少し
イメージとは裏腹に稲作が盛んな、胆振東部の厚真町
後半も心地よい林間の道を楽しみましたた。
さて、厚真からはどうやって札幌に帰ったかというと、厚真バスで苫小牧に出て、JR千歳線で札幌に戻りました。
(早来鉄道小史)
早来鉄道は明治37年に三井物産が運材用軌道として建設、動力は馬力→内燃
大正2年、藤田組の売却、のち旅客輸送も開始
大正11年早来軌道に改称
昭和20年早来鉄道に改称
昭和26年廃止
早来鉄道は、厚真バスに改組され、路線バスおよび貸し切りバスの営業で現在も存続。