チェコ領内のドイツ人多住地域だったズテーテンラント(桃色着色部分)

 

先日、カルルス温泉の名が、現チェコ領のドイツ語地名カールスバート(Carlsbad/Karlsbad)

に由来すると書きましたが、https://ameblo.jp/chizumania/entry-12302468014.htmlチェコ領内の多くの都市には必ずドイツ語地名が付いています。

 

チェコ北西部のドイツ語地名

 

これは、中世以降スラブ人の住居地にドイツ人の農民や技術者が自主的にあるいは招かれて移住していった東方植民の結果です。とりわけ、現チェコ領(ボヘミア)はもともとドイツ人国家・神聖ローマ帝国領であったこと、同時にドイツ語国家・オーストリア帝国領であったことからドイツ系の住民が多く住んでいました。第二次大戦前のチェコスロバキアではドイツ人は人口の約25%、400万人弱を占め、民族別ではチェコ人に次ぐ第2位を、約20%のスロバキア人をしのいでいました。またドイツ語は地域的公用語のひとつでした。

 

とりわけ、ドイツ・オーストリア国境近い地域はもともとドイツ人が住民の大多数をしめていて必ずドイツ語地名が付いていたというか、ドイツ語地名がはじめにあってあとからチェコ語地名がつけられたという地域です。カールスバートはその代表ですが、ほかの有名どころはアメリカのビール「バドワイザー」の名のもとになったブドヴァイスBudweis(チェコ語名ブジェヨビツェBudèjovice)、ピルスナー・ビールのピルゼンPilsen(チェコ語名プルゼニPlzen)があります。またチェコ出身のドイツ人には、フォルクス・ワーゲン、ポルシェで有名なフェルディナント・ポルシェFerdinand Porscheや函館に住んで日本にドイツ流のハム・ソーセージなどを伝えたカール・レイモンKarl Raymonなどがいました。

 

チェコ南部のドイツ語地名

バドワイザー(Budweiser)

 

彼らドイツ系旧チェコスロバキア人の悲劇は、ヒトラーがドイツ人の居住圏(Lebens Raum)だとして、現チェコ領域(ボヘミア、モラビア)をドイツに併合してしまったことです。第二次大戦後ドイツ敗戦に伴い旧ソ連の支援のもと独立を回復したチェコスロバキア政府は領内のチェコ国籍のドイツ人の国外退去を命じ、その多くが数百年代々住み慣れた土地を離れ旧西ドイツに移住しました。しかし民族的にチェコ人(あるいはスロバキア人)を自認してチェコスロバキアに残ったドイツ系の住民も少なくなかったようで、チェコスロバキア分離後の第2代チェコ共和国大統領となったバーツラウ・クラウスVàclav Klausや指揮者のバーツラウ・ノイマンVàclav Neumann、サッカー元チェコ代表のパトリック・ベルガーPatrick Bergerまたスロバキアではサッカー元スロバキア代表のウラディミール・ヴァイスVladimir Weissらドイツ系を思わせる人物も少なからず見られます。