雁里沼は数多い石狩川水系の河跡湖(三日月湖)のひとつですが、面白いことに石狩川本流と切り離された三日月の内側の部分が月形町の飛び地となっています。


このような川の曲流部では河川が改修され河道が直線かされたあとでも、その町・村・市・県などの帰属はそのままで飛び地状態となったままといった事例が見られます。こういった例は全国的にたくさんあるわけですがとりわけ筑後川と福岡・佐賀県境や北海道の石狩川流域の市町村をはじめ北海道に多く見られます。私、こういうのって大好きなんです。

図1.2.5万分の¹地形図 市南(平成15年発行)より

例えば上の地図(図1)で見るように月形町の雁里地区は、数件の農家が点在しているにもかかわらず、月形町本体とは橋などの連絡はなく岩見沢市内(旧北村)の飛び地となっています。



図1.2.5万分の1地形図 当別(昭和43年発行)Ⓒ国土地理院より


さらに古い昭和30年代の地図を見てみると。下の図2.に見るように、手前の水準点近くにある橋さえなく、外部との交通は、雁里沼の両端近くの土手の道を通って辛うじて旧北村に通じているだけです。月形町本体との間に渡し船があるでもなく、文字どおり陸の孤島状態でした。地名も今とは異なって「枯木」となっています。そしてなんと、この飛地の中に学校まであったのです(神社の向い「枯」の文字の上、多分月形町立の学校)。今はなくなっていますが、この時見てくるのを忘れてしまったのですが、何らかの痕跡が残っているかもしれません。


さて、そんな飛地を作った旧石狩川河道の「雁里沼」を見てみましょう。


北端の石狩川堤防より雁里沼北部を望む。まるでフランドル地方のような風景(右:月形町、左:岩見沢市)



北から雁里沼東岸を望む。石狩川本流時代の面影が残る。



岩見沢市北村地区(旧北村)とつながる雁里沼大橋。岩見沢と月形の境界票はない。


雁里沼大橋から見た雁里沼南部


太古の石狩川の曲流が偲ばれる。


ところで、図1の赤い矢印で示した水準点ですが、現地見つけることはできませんでした。ここに孤立して記されているのが解せないのですが、図2で見るとその北に続く道道上に以前は続いていたことがわかります。