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私の気づきは誰かの気づき

自分の内側と深く繋がった時に生まれる言葉は私だけのものでありながら普遍的と感じられ、どこかの誰かと共有したいという思いから書いています。
人生で起こる全ては自分の本来の光を見つける魂の意図であり、その完璧なまでに入り組んだ美しさに驚嘆するばかりです。

 

1、2ヶ月前位から、何故か?身体が神社に行こうとするので、それに任せて二、三日に一回位の感じで神社巡りをしています。

 

 

 

御代代わりの時期だから?行きたいのか

 

 

 

しかし、自分的には、行かなければ〜みたいな義務感がある訳でも、

行きたい、という思考がある訳でもなく、

 

 

 

身体感覚が先に動き出す感じで、今となってはほぼ習慣化してしまいました。

 

 

 

今日は自宅から少し離れた神社が浮かんだのでそちらに向かい、そのまま近くの少し規模が大きな別の神社へ。

 

 

 

この神社に来たのは二度目ですが、有名な所で歴史があり、祈りの力が集積されているのを感じていました。

 

 

 

チリ一つ落ちていないと言いたくなるような、掃き清められた境内に入った瞬間、心が静まるのを感じ、

 

 

 

 

 

 

建物の影で印を組んでいた時にふうっと沸き起こってきた想いがありました。

 

 

 

それは、今の自分を否定する想い、

 

 

 

例えば社会的通念から見た自分、だとか

 

 

 

(意に沿わない)現在の一時的な状況だったり、

 

 

 

自分を自分だと「思考」で限定している自分、

 

 

 

どんな形であれ、それらを否定(批判、限定)する想いというのは

 

 

 

全て大元、宇宙、内なる神、という名で呼ばれている本流、源から

 

 

 

外れるものである‥という事がふうっと沸き起こって来たと同時に

 

 

 

本流と一緒になろうとする自分の意図が持ち上げられ

 

 

 

とても厳粛な気持ちになった事を覚えています。

 

 

 

  *    *    *    *    *

 

 

自分一人で内奥の私と繋がろうとする事も勿論大事な事だと思いますが

 

 

 

時にはこうした「場」の力を借りる事も

 

 

 

とても貴重な事と感じたある朝の事。

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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何だか以前の自分とは違う自分が生まれたような?戻ったような?

上手く言語化できないし、前みたいに自己分析も出来ずモヤモヤっとしていた数ヶ月‥

 

 

 

内なる自分と繋がる経路が変わったみたいに感じる。

まるで20代の頃の私に(中身だけ笑)戻っているような。

 

 

 

 

カフェで気分よくお茶していたら、昔好きだった曲が流れて

 

 

 

 

その曲から他にも好きだった懐かしい曲を買って聞いていたら

 

 

 

色んな感情が思い出されて、後に

 

 

 

まるで昔の私が会いに来てくれたみたいに感じて、嬉しくて嬉しくて号泣した。

 

 

 

 

欠点を補正した、完全で正しい私ではなく、

「ただの本来のわたし」になりたいと強く願うようになった。

 

 

 

想いが少しずつシンプルになってきている。

 

 

 

 ・   ・   ・   ・   ・   ・   ・

 

 

 

画面に映る天皇陛下のお姿を拝見して、かの生い立ちや境遇に想いを巡らせていると

 

 

 

自然と涙が溢れる事がある。

 

 

 

母親世代の人々のように、皇室に興味があった訳ではないのに

 

 

 

最近になって何故なのか?

 

 

 

考えたら、天皇陛下のお姿が現しているその神性を

 

 

 

直観的に受け取っているのだと思った。

 

 

 

自分の奥の奥の奥深い部分の、

 

 

 

「はじまり」と同じ性質を放つお方。

 

 

 

それは画面に映るそのお姿を見ている私と全く無関係なのではなく、

 

 

 

自分自身と深く、深く関係があるから感動する。

 





 

以前の不思議な繋がりも一段楽したところ、

 


 

3月は表面的には平和な世界を生きているかのようですが、

内面的にはなんか、色々モヤモヤしまくりでした。

 

 

 

自分の理解を超えた事が自分に起こっている感じがして、それを把握や言語化できない自分が超絶もどかしい。

 

 

 

そこから自分のコントロール癖を意識できたのは良いのですが。

 

 

 

内側と繋がれない、以前と同じ事をしてもホッとできない

 

 

 

何なんだろー???って感じで。

 

 

 

そうこうする内、これはもしかしたら自分の中の統合なのかも知れないと思うようになってきました。

 

 

 

肉体意識と神意識の統合。

 

 

 

ふとブログが気になって久しぶりに開いてみたら、ドンピシャその事を書いている方がいて

 

 

 

その記事読んだだけでもう満足。

 

 

 

やっぱり、私達は集合意識で繋がっている。

 

 

 

だから自分に起こった事は全てが自分のせいじゃない。

 

 

 

いや本当は、全ては自分でつくっているのだけど

 

 

 

私の本体はたましいだとしたら、

 

 

 

肉体で感知できない事が起こってもそれはOKな事なのだ。

 

 

 

It's OK. 

 

 

 

こんな時、英語のこの軽いノリが良く似合う。

 

 

 

色んな場面で便利に使われるこの言葉。

 

 

 

そう言えば、かなーり昔の「コンタクト」という映画で

 

 

 

ジョディ・フォスターが宇宙船に乗り時空?を超えるタイミングで

 

 

 

It's OK,  I'm OK....と地球側に交信していた場面があったな。

 

 

 

あの映画大好きだった。

 

 

 

関係あるのか分からないけど最近、昔好きだった曲、好きだった映画、好きだった趣味

 

 

 

ふとした時にどんどん蘇ってくる。

それが今に繋がってきて夢中になる。

 

 

 

昔の自分を思い出すみたい。

 

 

 

スピリチュアルに興味もなくてただ感覚で生きていた頃の自分に。

 

 

 

 

 

 

 

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ここ最近、ほとんど連日の更新ぶりを楽しみにしている。

 

 

八木さやちゃん

 

 

ブログも好きなんだけど、インスタライブの方ね。

 

 

 

彼女の言葉の切れ味、毎度ながら本当に素晴らしいのです。

昨日?位のインスタライブで

 

 

「男性性とは動きたい女性性を、”うん、いーよー。”ってただ認めてあげることだ」

 

 

という箇所があって。

これ、またもや心地よい揺さぶりというか、目覚ましというか胸がすくというか。

 

 

目からウロコな瞬間でした。

 

 

 

私的には女性性=インスピレーション、本能的

男性性=それを実行する力、みたいな感じで認識していたから

 

 

 

男性性がただじーっと女性性を見つめて(あくまで自分の内側の話)、女性性のリクエストを ”うん、いーよ。” って認める役割を持っていたとわ!

 

 

 

自分を振り返ったら、私の男性性はギッチギチに固まってて、めちゃめちゃ許可が降りにくい窓口みたいな感じになってる!と思いました。

 

 

 

許可が降りない理由は大抵がお金のブロックだったり、します。

 

 

 

私の場合、定期的な収入があった時期もこのブロックはあった。

(そのモノに惚れてしまった場合は抵抗なくなるのだが)

 

 

ブロックなのか分からないけど根本的に、粗悪品を買いたくないという思いが強いのかな。

 

 

 

そこ掘ってくと、深い部分で「騙されたくない」と感じてて

 

 

 

それはまた別の通路に繋がってる気がするから今回掘らないけど。

 

 

 

男性性の窓口が融通きかなくなっちゃってる、自分を楽しませる方法がめちゃめちゃレパートリーが無い、というか忘れてる。

 

 

 

数日前、映画行くと閃いたのが火曜で、水曜レディースデイに行けたのもそういうのが宇宙の計らいと感じたのだわ。

 

 

 

今の私が飛びやすい高さのハードルになる。

 

 

 

一気に高いハードルを越えるのは大変だしへこたれるから、いつもより数センチだけ高いハードル越えながら

 

 

 

段々と核心に近づいてゆく。

 

 

 

 

、、、書いてて気づいたけど、アリー/スター誕生を観たとき、こんな風に愛されるのって良いな!と最初の方思ってたけど

 

 

 

それってまんま自分の内側に向けてた想いだったな。

 

 

 

私はわたしの男性性の器を大きく育てよう。

 

 

 

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前回の記事をUPした後、フォローしている方のブログをチェックしてたら

 

 

「映画」というワードがあって即座にこれ!と感じたので、前からちょっと気になっていた「アリー/スター誕生」を見に行く事に。(後半ちょっと【ネタバレ】かも)

 

 

 

”映画館で映画を観る”は、私的には普段の事では無かったけど、翌日ちょうどレディースデイで心理的にも気軽に、席も事前予約できて安心して行けました。

 

 

 

興味があったのは、他人の助けによってどんな風にスターになっていくのか、って所と、

 

 

 

まだ未完成のアリーが大勢の人前で歌うシーンを見たかった。

 

 

 

そういえば、さらなる豊かさを感じるにはどうしたらいいか教えて欲しい、と宇宙にお願いしてたと思い出しつつ映画館に向かいました。

 

 

 

そうしたら、前記事で歌手体験をしたい!って浮かんだ時の映像と全く同じシーンがあって

 

 

 

それが魂震えるくらいに素晴らしくて、

 

 

 

慟哭して身体が震える位に感動したから、隣の人に気付かれるかと心配したくらいでした。

 

 

 

心のど真ん中にドーーーーーンって感じ!

 

 

 

このシーンを見る為に今日映画見たんだ〜ってわかって。

 

 

 

その日は望みのシーンを観られた事と、思いつきを行動にできた満足感で大・大満足だったのですが、

 

 

 

映画としても純粋に楽しめた一本でした。

 

 

 

観た後も心に残った表現があって。

 

 

 

ナイトクラブで歌っていたアリーを見出したのは偶然そこを訪れた有名歌手のジャックで

 

 

 

その後アリーが他人によってプロデュースされ有名になってゆく、それは心から嬉しいんだけど

 

 

彼が見ていたのは、磨く前の原石だったアリーの輝きだったという表現だった。

 

 

 

アリーは成功するにつれてナイトクラブで歌ってた自分を忘れつつある、でも彼は現在のアリーの事も愛している。

 

 

 

彼のその微妙な心の表現があるのだけど、まるで料理のスパイスみたいに

 

 

 

さりげな〜い出し方で、映画全体とのバランス感が最高でした。

 

 

 

ブラッドリー・クーパーは歌も上手くて、俳優としての実力もあるけど

 

 

監督としての表現力も同時に持ってるって素晴らしいな、と。

 

 

 

でもこれってたぶん誰のなかにもあるものなんだなとも思いました。

 

 

映画はもちろん、劇中歌の「Shallow」にも恋してしまったので、

 

 

家に帰ってもボーンやりその事ばっかり考えちゃってました。

 

 

 

今は絶賛「今の自分の状態を冷静に見よう」時期で、

 

 

 

今、私はどんな事を叶って欲しいと思ってるか、を改めてみてみたら、

 

 

 

将来の生活はこうなって欲しい、こんな家に住みたい、これ位の収入があったらいい、なーんて事ばかりで

 

 

 

これって夢なんかじゃないなーって思いました。

 

 

 

夢というより単なる志向や希望みたいなもので、それは本当の夢が叶ってゆく途上ですべて整えられるものだなーって思いました。

 

 

 

今の現実の延長上の希望しか見てないなー自分、て感じて。

 

 

 

こんな風に感じられる事も、映画を観なかったら起こらなかった訳で。

 

 

事の始まりは、今の自分で幸せだけどもっと豊かさを感じる何かを教えてー!って宇宙にお願いした事だったけど

 

 

 

本当に計り知れない位の気づきを与えてくれた一件でした。

 

 

 

今の私に必要なものは全部与えられる、ってまた実感できてよかった!