二十数年ピアノを教えてきて思うこと、ピアノを弾くことの意味。

私が音楽をやり始めたのは5歳位でヤマハ音楽教室のグループレッスン。今の幼児科のようなところ。3月生まれなので何事も人より遅く、人の後ろを付いて行くタイプで、いわゆるトロい子。
母親はせっかちな几帳面な性格だったのでイライラさせっぱなしだったのかな?と思う。
唯一、和音当てが得意だったらしく母は私の音感の鋭さに気づいていたらしい。
小学生の間は先生の引っ越し、結婚などでしょっちゅう先生が変わっていた。
こんなに色んな先生に習う人も珍しいと思う。
短大時代も先生の産休でまた先生が途中で変わり…
しかし、今となって見ればどういう先生がいい先生なのかが何人も関わる事によって自然に感じられるようになっていた。当然好きな先生と苦手な先生がいた。
自分が好きな先生というのは、自分を受け入れてくれる先生、認めてくれる先生だった。逆の先生は⁈
誰でも人には長所と短所がある。自分もそうだ。全部良くなることは多分ない。何事も一長一短。
私が心掛けていること。それはどんな人もみんなこの世に尊い使命を持って生まれてきている。生かされている命。命の尊さは地位や名誉なんて関係ない。
自分のモノサシで人を見ると世間が狭くなる。
人のいいところを見る。認めて肯定し、受け入れる。人と和合する。
逆だと何も進展しない。
私は子供が産めなかったので子供はいないけど、目の前にやって来る子供さん達とは自分の子供のつもりで接する。
だからたまにものすごく怒る。でも今言わないと、この子のピアノ人生は終わるな、と直感で、愛情を持って。
ピアノが弾けなくても大人になれるし生きていける。だから必要な人だけがピアノを弾けばいいのだけど、自分がずーっと音楽に携わってきて色んなものを得られたし、一生付き合える、勉強できる最高のものだと思う。

ピアノ教室に行けば、スイミング教室のようにピアノが弾けるようになると勘違いしている親御さんがたまにおられる。勿体無い。練習して始めて色々なものが身につく。練習=自分を磨くこと。
これが上手く行かないと習う意味がない。
私の尊敬する師匠の言われた言葉。
小学校低学年まで(3年生位)は親御さん、後は本人次第。
幼い年齢からピアノを始めさせたい親御さんはこの理を知っていないと難しい。
親子一体で取り組まなければ良い結果は生まれてこない。
先生=監督、親御さん=コーチ、子供さん=選手
3人のトライアングル、連携プレーが上手く流れていないと喜びは生まれてこない。
子供が練習しないから…は言い訳。
目の前の生徒さんが出来るようにならないのは自分の指導が不味いから。
謙虚と感謝。
毎日が尊い。
いい仕事に巡りあえて私は幸せ。
天職。
こんな私ですが、皆様、これからもよろしくお願いいたします。