なんでも熟考し
何年か先を見据えて
数ヶ月で土台を作る…



わからなければ調べ
人に聞くことをおそれず



目標のために
着実にステージを上がれる
行動力のある人というのは




なっていたい自分
その自分が身を置きたい環境など




今を起点に
未来の想像ができる人だと言えると思う
それが
生きているかもわからない○年後という得体のしれない時間だとしてもだ




では私はどうかというと




それが全くできない




未来の自分に
ワクワクしない



○年後の自分、とか
想像できない




まぁそんな奴が生きていてもいいよね





私にしたら
半年後だって想像するのはとにかく難しい




と思うのだけど




どうやら
行動力のある人からすると
想像力に欠けた
ただただ目の前(直近)の変化に順応しよう
という私が




ものすごく心配に見えるらしい
腹立たしいほどに…




どんなに警告や注意を受けても
頭が働いてくれないのは何故なんだろうと思っていた




だから
調べたり
内観したりしてみた




それでわかった




私はとにかく自由であることが好きなんだ




そして
自由でありたいと願うベースにあるもの…
より強く、根底にあるものは…




不安性なのだ





不安は
「知らないこと」
「体験したことがないこと」だと
大きく膨らんできて
たちまち眠れなくなるんだ




実際
行動力のある人と会話したあとは
不安を煽られまくって
眠れなくて
脳が不安を消すための行動を
考えてくれないんだ
だって
とるべき行動が1つだけとは限らない



とるべき行動=〇〇をする
とすると、
まずそれが叶うところへ行く



場所でも。
ネットなら関連サイトへとべば良い



しかーし、、、
いや待てよ?
〇〇しちゃってほんとに大丈夫?
なんか不都合起きたりしないの?
とか、
△△って書いてあるけどこっちは□□て書いてる
どーゆーこと?
え、これもしなきゃならないの?
あ、じゃあこれもじゃない?
え、ならこの可能性もあ…
どこまで考えりゃいいの?




と、




キリがない!





キリが見つけられない
完璧主義が発動してしまうんだ
これはとにかく時間をくう!!!





だから目の前に起きてきたことを




その
起きてきた時に
どうにかする(対応する)のが
ある種
処世術、だったりするんだ
その時の未来の自分の判断に委ねたいんだ




だって
起きてもいないことに
心を砕きたくない





けれども
想定して動くことは重要だと思う
防災はその最たるものだと思う




だけど、
もうすでに悩んでる




何を用意すべきか?
セットを買うのか?
リュックを買って自分で詰めるのか?




納得できる答えに出会えず




また
2時間…?いやそれ以上も
ネット情報を見て回っている





行動力のある人からすると





私のような人間は





さぞかし宇宙人だろう、と思う