回避性の気質がある



 子どもの頃に母を亡くしてから、父方の祖母と同居することになった。生前、母とは仲が良く、自分の描いた漫画を読んでもらったり、ぬいぐるみに名前をつけて一緒に遊んでいた。学校で嫌なことがあるとよく母に話を聞いてもらっていた。父には内緒で学校をずる休みしたこともある。

そんな大好きだった母を亡くしてからの祖母と父との生活は、悪くはなかったが、少しモヤモヤするようなことも多々あった。


祖母とは合わない部分がある。私はもともと誰とでも仲良くできるようなタイプではない。クラスで全員と仲良くすることは不可能だが、フィーリングが合う人や趣味や考えに共通点がある人とはちゃんと仲良くなれる。この人は大丈夫、と思える人じゃないと私は心を開けないのだ。それは今も変わらない。いくら相手が心を入れ替えて変わったとしても、相手との今までの概念が染み込んでいるので、今更心を開くことはとても難しい。


祖母との関係は悪いわけではない。ただ、母のように心から何かを相談できるような仲ではないだけ。表面上の関係なのだ。誕生日や敬老の日にプレゼントを用意したりするのは唯一のコミュニケーションかもしれない。普段は必要がなければ特に話さない。疲れるから。どうしても話したいと思えない。どうせ自分の話ばかりで私の話は聞いてないのかなと思う。受け止めてもらえないモヤモヤから、私の欠点を探して父に報告をするのかなと被害妄想が膨らんでしまう。



昔から人の嫌なこと、恥ずかしいことをストレートで言ってくる人だった。私も無神経なところはあると思うが、この人の遺伝なのかもしれない。

『 〇〇(自分の息子、私の父)があんたのことああ言ってたよ。』

見た目に関することでとても恥ずかしくなった。

私は内心では嫌だったものの、思ったことを上手く口にすることができずいつも黙っていた。

なぜわざわざ父が祖母に言ったことをそのまま私に伝えてくるんだろう?

せめて、父に言われたというのは伏せて、改善できることであれば、その改善方法とともにそっと伝えてくれればいいものの。

それに加えて、滲み出る支配と監視、そして期待。私の気持ちより私が誰とつるんでいるか、など世間体の方が気になるみたい。


こんなことを私はずっと根に持ってしまっている。執着が激しすぎて困るね。今でもふとしたときに思い出してしまう。時間をかけてでもこの執着を浄化させたい。




 ​激しい執着と被害妄想の自覚


 私は今まで祖母の悪いところばかり目についてしまっていた。祖母と一緒に暮らさなければ出来なかったことがたくさんある。大学まで出してくれたこと、とても感謝している。祖母は別に悪気は無いのだ。私の思い込みもたくさんあるんだと思う。悪い方に解釈してしまうのだと思う。体調が悪く心に余裕がない時に限ってイライラする面が際立ってみえてしまう。人間なので良いところも悪いところもあって当たり前。合わない部分をどこまで許容できるか。様々な角度から客観的にみて認知を変えなければいけないと思う。



 ​頼れる存在を増やすことが心の安定に繋がると思う




私はずっと嘲笑や否定されることを恐れて避けて生きてきたのだ。周りの目が気になって仕方がない。恥ずかしい思いをしたくないから完璧に振る舞う。学生のときまでは周りに合わせるために必死だった。友達も困らない程度にいたが、楽しい部分より気を遣う部分の方が大きかったと思う。等身大の自分ではなく、頑張って楽しく振る舞っていたと思う。毎日憂鬱で仕方なかったけど、大学に行くと無理して普通に振る舞う。もちろんその中で笑い合ったり得れたものはたくさんあった。ちゃんと青春できたことは嬉しかったな。楽しかったけど、コミュニケーション欠如の自信のなさからくるネガティブな部分の方が多くて、それを正直に相談できる友人はいなかった。当時は発達障害、精神障害という概念はまるでなかったから、自分は普通だと思って周りと付き合うのに必死だった。



無理して人付き合いして(膨大なパワーを使って)少しの楽しいことを得るか?

人付き合いはほぼ諦めて、自分の無理のない生活を送るか?(その中で自分の中でできる限り楽しいことを見出す)

ここ数年は後者に価値観がすり替わったね。発達障害の診断を受けてからかな。


ただ、無理する必要はないけど頼れる存在を増やしていくのはやはり大切だと思う。心を開いて相談できる存在は不安を和らげる。

人付き合いを全て諦めてしまっていては、価値観の合う人と新たに出会うこともできない。

もちろん、人数よりも質が大切と考えている。心を開ける人、頼れる人をできるだけ増やす。一人だけだと依存してしまうおそれがあるので何人か。全ての人にいい顔をする必要は全くない!

自立に向けて少しずつでも出来ることをこなしていこう。