素直に思ってることを言うと大学がどうなるか不安である。不安を紛らわして勉強してたのだが、一向に捗らない。こうして言葉にすれば自分の意志がはっきりして落ち着くことを期待しているのである。1週間前まではタイの研修で一緒だったルームメイトはアイルランドにいるし、今日は友達もプレゼン練習を抜けて他の活動をやったり、(あくまでも憶測だが)大会の提出物を既に出してて、1人だけ一日中部屋でゆっくりタスクをこなしている自分に焦っている。焦ってるんだったら何かやりなよって片方の脳は言っている。大学受験なかったら自分は今沢山作りたい物があるのでそれを朝から晩までやってたいし、ご飯なんか食べなくてもいいくらいだ。だけど、大学受験を考えると、自分が今は興味がない勉強をするべきなのだ。アメリカの友達は私が中学受験勉強してる間、自分の好きなことを探し、色々チャレンジしていた。だから、今自分は多少その面においておくれていると思い、焦ってることもあるのかもしれない。スタンフォードに通ってる人はコネクションが凄いなぁ、どこでそんな人に知り合ったの!?っていう人が多くてすんごい。タイのルームメイトもスタンフォード受かったっぽくて(恐らく)どんどん置いてかれてる気分になってる。

この流れの速さを感じで、ハンガーのプロジェクトメンバーと一区切りつけようと思った。自分が何もしなくても動くメンバーが、真のメンバーであり、自分が何かやらないと動かないのは、そのメンバーはは必要だと認識して良い。足を引っ張ってるから、一刻も早く脱却すべきだ。今後の人生でメンバーを集めるとなったら、自分から動くメンバーに切り捨てることが大切で、時には勇気がいる。仕事での友達と人生での友達って違うなと感じた。人ってほどほど一緒にいるのが幸せなのかな、でも家族はずっとこれまでの人生一緒に過ごしてきたから、大学で留学して離れたらどうなるのか楽しみ。

言葉って本当に魔法のようで、ずっと側湾症の研究したいって言ってたらなんか前よりも好きになったし、運命のように感じるようになった。だけど、本当に自分が好きなのかがどうしても割り切れなくて、最近アプリ開発少し手を出してみたら、それが面白すぎてそっちもやりたいと思うようになっちゃった。医学っていうより作る方が好きなんだなぁ。作ることだけをする人生ってあるのか?これまで研究は少ししかやってきてないけど、その分野の知識って必要じゃん、他の分野の知識も必要。嫌でも勉強して、後からやってよかったって事は嫌ほどある。まぁ、自分の好きなことをするためにも嫌いなこともするのが人生なのかなぁ。好きなことが明確だと、何をしたいか明確だと、嫌いなことも乗り切れるっていうか、好きなことと繋げて考えれば少しでも好きになるのかも。好きかどうかって実際に見てみないと、やってみないとわからない。やっぱ一線を超えて、プロとして何かをしてる人ってよっぽど好きなんだなぁ、それはそれで幸せだなぁと思うよね。若いうちにめっちゃめちゃ勉強した方がいいっていうのは聞くし、本当にそうなんだろうけど、勉強って何?好きなことを突き詰めるうちに世界が広がって、他の分野も勉強するってこと?それとも興味ないけど取り敢えず時間とって勉強するってこと?両方な気がしてきた、、、人間って好きなことばっかりやっても視野広がらないし新しいものも生まれてこない。両方できる人は強いけどむずい。私は今両方やろうとして片方潰れたりしてきた。高3は両方できるようになりたいです。それだけでいいです。