はい。万葉集に聖徳太子の歌があります。(●^0^●)ノ
   上宮聖徳皇子(かみつみやしやうとこのみこ)、竹原井(たかはらのい)に出遊(い)でましし時に、
   竜田山(たつたやま)の死人を見悲傷して作らす歌一首
   小墾田宮(おはりだのみや)に天(あめ)の下治(したおさ)めたまひし天皇(てんわう)の代。
   小墾田宮に天の下治めたまひしは豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇なり。
   諱(いみな)は額田(ぬかた)、諡(おくりな)は推古

   (上宮聖徳皇子が竹原井にお出かけになった時に、竜田山の死人を見て悲しんで作られたお歌一首
    小墾田宮の天皇の御代。小墾田宮で天下を治められたのは豊御食炊屋姫天皇である。
    諱(いみな)は額田(ぬかた)、諡(おくりな)は推古)

* 上宮→「推古紀」や『上宮法王定説』に、
     父の用明天皇の宮の南の上の殿に住むゆえに「上宮」というとある。
* 竹原井→大阪府柏原市高井田の地。大和と難波とを結ぶ交通の要路に当たり、離宮が造られた。
* 竜田山→現在、その山の名はなく、信貴山の南から柏原市にまたがる産地一帯をいう。
      大和・平城京から河内・難波に出るには、この山を越える竜田道をとるのが一般的だった。
* 小墾田宮→推古天皇の皇居。小墾田は、飛鳥の北部一帯。
* 豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)→推古天皇。

♪家(いへ)ならば 妹(いも)が手まかむ 草枕 旅に臥(こ)やせる この旅人(たびと)あはれ
                                       (巻3・415)

(家にいたら 妻の手を枕(まくら)とするだろうに (草枕)旅に出て倒れている この旅人は哀れだ)

挽歌です。
「行路死人歌」は、旅先で飢えて倒れた、または不慮の災難にあった死人を歌った歌です。
 旅する人は、素性の知れない異人でもあったから、たとえ人里近くで難にあっても、たやすく援助を
 受けられなかったのでしょう。
 野ざらしとなった死者は、「死」そのものが「けがれ」だったために、
 村落の人々にも、同じ道を旅する人々にも、恐れの対象となったのです。
 だから、「行路死人歌」は、異郷の土くれとなっても、魂が荒ぶることのないよう鎮魂の祈りをこめて
 歌われています。