煬帝の建設した運河は、中国経済の大動脈として、重要な役割をはたしました。
 煬帝は、江南に行幸します。
 煬帝は、運河に金銀でかざり立てた4階建ての遊覧船をうかべ、農民に船をひかせて江南に行幸しました。
 遊覧船から引いたたくさんのロープを、農民たちは、運河の土手から、よいしょよいしょと引っ張ります。
 
 万葉集にあります。元正上皇が、遊覧船で川遊びをされたようです。
 田辺福麻呂(さきまろ)が、越中から都に帰るので、家持たちは、送別会をしました。
 翌日の帰京を控えての、この送別の宴で、都のことが話題になります。
 家持・福麻呂の精神的な支えだった元正上皇や橘諸兄のことなど・・・
 そこで、福麻呂は、伝承します。こんな歌があったよ。と。

♪夏の夜は 道たづたづし 舟に乗り 川の瀬ごとに 棹(さを)さしのぼれ    (巻18・4062)

      右の件(くだり)の歌は、御船綱手(つなて)を以て江(こう)を泝(さかのぼ)り
      遊宴せし日に作る。伝誦する人は田辺史福麻呂これなり。

  (夏の夜は、川辺の道は心もとない、引き船をやめて船に乗り、流れの早い浅瀬に来るたびに、
   棹をさしてのぼるがよい)

     (右の一連の歌は、お船が綱手(つなで)で曳航(えいこう)し堀江をさかのぼり、
      遊宴を催した日に作られたものである。伝誦(でんしょう)した人は田辺史福麻呂である。

 万葉集の舟遊びは、中国チックなハイカラな文学的遊びだったようです。
 福麻呂送別の宴で、元正上皇と橘諸兄にかんする古歌(ふるうた)を、
 はるか越中の地で、みんなで楽しみました。