<遣唐使のメンバーとお手当て>つづき
{留学者}
 留学生(長期留学)--絁 40疋・綿 100屯・布 80端。
 学問僧(長期留学)--絁 40疋・綿 100屯・布 80端。彩帛10疋。
 傔従(従者)-----絁  4疋・綿 20屯・布 13端。
 還学僧(短期留学)--絁 20疋・綿 60屯・布 40端。彩帛10疋。
 請益生(短期留学)--絁  5疋・綿 40屯・布 16端。      ε- (^、^; ふぅ

使節派遣の時、位の昇進がある。
また、無事帰国の暁には、慰労の意味で特別の昇進もあった。
遣唐使に出かけた者は、帰還すると、税負担を3年間免除された。
破格の優遇もあった。
 ★第12回遣唐使
   752年(天平勝宝 4) の第四船を運んだ船の柂師(かじし)、川部酒麻呂(かわべのさかまろ)は、
  船尾から起きた火災の時、火傷を負っても柂を取って離さず、帰国後、その手柄によって、
  従七位下という位を与えられ、肥前国松浦郡の下級役人に取り立てられた。
  ふだんは漁師の公民だった。

{遣唐使を助ける技手}
「主神」は、船中で住吉の神を祭る。
「占部」は、日本古来の太占(ふとまに→鹿の骨を焼いて行なう占い)に従事する。
      占部氏が職を世襲していた。
「陰陽師」(おんみょうじ)は、天文・気象についての判断や筮竹(ぜいちく)を用いた易占を掌った。
「画師」は、絵による記録。(→カメラマン)
「射手」は、船が襲われた場合の備え。
「音声長」(おんじょうちょう)は、音声生(おんじょうしょう)を指揮して、
      遣唐使使節の行列、舟行に威儀を正す役目。
      船を漕ぐとき、船尾にある太鼓を打ち鳴らして、拍子をとった。