何でそこまでやるんだろう?

何でそうするんだろう?


自分以外の人間のそれは

結局わからないのである

それをしている本人ですら

大概わかっていないのだから



先日のお山の下り道中

どうしても

私に抜かされたくないらしい人が

前を歩いて(走って)いた

下り始めのところでは

姿は見ていなかったのだが


途中の休憩処に

ばあちゃんとおばちゃんがいる

また来るねとあいさつしようと立ち寄ると

トイレに行ったであろう彼が

ひょいと私の前を横切った

この人も下りてるんだなと思った


5分程度話をしまた歩き始めた

そのうち彼の姿が見えてきた

走っていたわけではないのだが

どうも私のペースの方が速かったらしい


どんどん近づいていく

抜かすつもりで歩き続けたのだが

本来なら止まって道を譲ってくれるはずの

シチュエーション

彼はペースを上げるのであった


おや?どうした?

抜かれたくないのか?

しかしどうしても近づいてしまう

すると彼は逃げるように

落ちてきたペースを上げるのである


こりゃあめんどくせぇぞと思い

後ろでいろいろ試してみる

走っていったら

諦めて退いてくれるかもしれないと

敢えて小走りしてみる

私の存在が近づくと

やはりペースを上げるのであった


途中チャンスはあるのだ

ばあちゃんとおばちゃんとこ以外に

あと2つ休憩処がある

是非ともそこで止まって譲ってほしかったが

彼は譲ってはくれなかった


結局最後まで退いてはくれなかった

フラフラヘロヘロになりながらも

どうぞお先にと道を譲ってはくれなかった

こちらはまだ余裕があったので

じっくりと彼の動きを観察させてもらった

彼が最後までどうするのかを

見てみたくなったのだ

一定の距離を保ちながら追いかけた

きっとこれは

あおり運転なんだろうなと思いながら笑


あの調子だと

転がるかもしれないとも思った

息が上がっているのも

足がよたっているのもわかったから

それでも止まることがてきなかった彼は

一体何でそうする必要があったのか?



なぜそこまで?

彼とは一言も交わさなかったので

真相は不明である


そして思うに

彼自身もわかっていないと思う

自分がなぜそういう動きをしてしまうのか


必死なのである

一生懸命なのである

だけどそれは端から見たら

何で??なのである


でも本人は必死だし一生懸命だし

自分は頑張っているし

何も悪いことはしていないのに

それなのに

何で周りはそれを理解してくれないのか?

そんな思考回路である


山じゃなくても

いくらでもこんなことはある

どうぞお先にと

自分の力量を素直に認めた上で

人に譲ったり頼んだり

すればいいだけのことである

よほどその方が周りも助かるのである

気持ちも良いし

人との繋がりも楽しめるのである



七面様はしゃべらないが

こうしていつも何かを見せてくれる

73回目にしてこんな経験は初めてだ


彼が気づいてくれるといいなと思う

そんなに意地張らなくても

生きていけることを

むしろ意地張らない方が

周りもやりやすくなり

本人も生きやすくなるってことを



自分を客観視できるようになることは

生きやすくなるための大きな一助である

自分を振り返ってみることは

とても大事な作業である






ちよ