なんでもないちょっとした失敗に
ドン底に突き落とされたみたいに
真っ暗になったりする。

なんでもないちょっと嬉しいことに
はしゃいで走りたくなったり
夜空の星がすんごく綺麗に見えたりする。

どちらも
自分の気持ち次第


世界の果てまで行ってQで
みやぞんが何やら語っていた
地獄みたいな人生か、天国みたいな人生か
それは自分の心次第だって

ああ、このひとも
知ってる人なんだな、と


割とみんな知ってるのかな。
この世の 幸せの定義。

ずっと、知らなかった。

私が銀行員時代、社会に適応できなくなってうつ病みたくなって、もう本当に何もできなくなってしまったとき、

心理カウンセラーの書籍たちが
天使みたいに優しかったこと。
でもそれさえも受け入れられなかったこと。

優等生として生きてきて
何不自由なく、上から認められて
親の希望通りの人生を歩めたのに

心だけが息苦しくなって
吃音で声が出なくなったこと。

紙と、印刷の音と、冷たい社内
待っている人の無機質な視線と
まるで見えるかのようなイライラした心の中

もう何もかもが敵で
苦しくてどうしようもなかった。
あのときのことは
もう、記憶も微かだ。


今日happyちゃんの本を二冊買った
前、これ一冊は買ってたのに
読んだのに
そのときはhappyちゃんのことを調べようともしてなかった。
知ってたら何か変わってたかな。

三凛さんのブログも、
ソウルメイトの友達が教えてくれなかったら
私はまだ元彼に依存して執着してたんだろなぁ。


エイブラハムの本と
なにやら綺麗な絵本があったので
大奮発して四冊購入

帰りは大好きなマッサージを
久々に受けて帰った。

そして、happyDJのソースチャンネル
インスタライブで自分との結婚式を挙げて

最近買ったピンキーリングを自分にはめてあげた。

そしたら
なんかもう
どうしようもなく
嬉しいのと悲しいのと
今までたくさん虐めてきた私へのごめんねと
本当はこんなに愛していたんだという感謝で
心がいっぱいに満たされて
涙がぽたりぽたりと
頭の中の湖の中で
私はずっと泣いていました。


瞑想が終わった後も
心がぽかぽかしていて
大好きな羊毛フェルトで
ハート型のマスコットを作り

今度また声が出なくなったとき
自信がなくなりそうなとき
笑顔になれないときに
ぎゅっと思い出せるように

おまもりを作りました。



知らない間に人から褒められるようになって
容姿も、人柄も、声さえも
たくさんのひとに受け入れられてて

でも、私は自分を認めてあげられてなかった。

私が少しずつ認め始めた途端
人からの評価もどんどん増えてきて
でも、
人からの意見ではなくて
いつも
私が認めてあげていれば
なにも怖いことがないということが
わかった。

この世界はさまざまな視点で
すべてのひとに見えているかもしれない
けれど
私が主人公で、私の視点で見られるこの映画は、
この私という私だけのものなのだから

だから、
誰からなにを思われようと構わない。

だって、
他人の映画なんか私には見られないんだから
だから、
わざわざその他人のスクリーンを想像してみようとしなくていいんだ。

どうしようもなく、
他人の目が怖いときもある。
嫌われてないか
鈍臭いと思われないか
使えないやつと思われないか
空気読めないと思われないか…

そうやって、
人の目に美しく見えるように
飾って、変化して、合わせて、協調して、その場に合わせてカメレオンみたいに生きてきたんだけど、

もうやめたね。

こわいときは
私の心の中の天使が
大丈夫って抱きしめてくれるから。


だから最近liberaの曲を
ひたすら聴いている。

自分の愛に気づくと
こんなにも世界ってあったかいの

もう、大丈夫だね。