82歳。寝てる時 苦しまずなくなりました。
去年春 肺炎起こし、それまで手入れしてた
畑仕事をやめ、自宅に酸素の機械をおいた。

日常生活はトイレも自分で行くしお風呂も。
目の病気がすすみ 視野が96%なくなり
去年夏から介護生活に。今年春から週2で
デイサービスに行ってました。
耳が遠くなり 補聴器新調したのが2ヶ月前。
それでも聞こえないらしく 耳も目も不自由な
感じで 酸素チューブつけ家の中うろうろ。
認知はでてないけどコミュニケーション
とるのが大変で本人も しんどかったのでは。

先週金曜はデイサービスにいき、土曜に喉が
痛いといい微熱あり、週1くる訪問看護師に
来てもらい、主治医に連絡するほどではない。
月曜から家で2.3日点滴しますかね。って感じ。
今年4月もそんな感じで、その時の方が
しんどそうだったから今回は油断してた💦


朝方トイレにいき、うたた寝してたらしく
母と会話し、立つために母が 脇に手を入れ
立たせた瞬間に意識なくなったみたい。
そこで二階にいた私達夫婦にヘルプが。
おりてみると意識なく、消防士である旦那さんが
脈や色んなとこみて 救急車呼んだ。
来るまでの間、心臓マッサージ等 旦那さんが
してたが、いっこうに意識戻らず。
5分くらいたったところで 旦那さんが私に
「だめかな」と言う感じで首を横にふった。
「用意しておいで。長くなるから」
そういわれて、トイレいき、身支度して
母と私が救急車に同乗していった。
そのまま意識戻らず。死亡となった。

何かわからないがあれこれ手続きあり
何時間か病院にいて、救急車の中から
電話した双海にいる妹が到着、合流。
まあ、苦しまずになくなったから
まだ良かったかなと。
耳も目も不自由になったからこれからも
大変だろうし、母も介護でだいぶ心身疲労
してたから、まあしょうがなかったかなと。
私と妹の姉妹で、喪主は一応母だが
実際は私達夫婦がしきり なかなか大変でした。
家族葬にしたから こじんまりで把握は
しやすかったけど 何が大変て ひとつひとつ
決めるのに母が納得せず、決めたのに
やり直したり。それが一番大変でした。
前まえから予想はついていたけど。
まあ、なんとか段取りできました。

なくなったのが8日月曜日。
もう一週間たつのかあ。
なんだか、日や時間の感覚がぼんやり。
喜怒哀楽も何だかぼんやり。
あさってから仕事びっちりだからがんばろ。