『鶴のブログ』の鶴さんは
義母の介護を一生懸命しておられる。
その上、
ご主人も鬱で
ご主人も支えておられる。
そして、
抱えすぎて
苦しんでおられる。
彼女を励ましたくて、
これからしばらくは
自分の介護の経験を
書こうと思う。
4年前に亡くなった実母は
私が小さい時から病弱だった。
沢山の病気をし、
私が高校生の時は鬱にもなった。
家へ帰ると部屋は散乱し、
真っ暗な部屋で寝ていた。
ご飯の支度も出来ないので
私が作っていた。
父はそんな母を
『怠け病だ』といい
母を責め、ドンドン悪くなっていった
私はそんな父が嫌いだった。
私の大好きな母を不幸にする父なんて
早く死んだらいいのに
と思った。
母は時々入院し
入院した時は元気になった。
今なら解る、
父も寂しかったのだ。
母も寂しかったのだ。
そして母は
自分が病気でないと
愛されないと、
優しくしてもらえないと
思っていたのだ。
父も本当は優しい人だった。
でも、
母の欲しい優しさではなかった。
母も父に甘えることが出来なかった。
甘えて拒絶される恐怖が
あったと思う。
死ぬまでそのズレは縮まらず
母は逝った。
一人になった父は
『すまなかった、すまなかった』
と言いつづけ、
お酒を浴びるほど呑んで
母の死の3年後に亡くなった。
最後の約1年間は
認知症だった。
認知症の介護が1年間で済んだのは
母が私の為に
早く父を連れて行ったと思う。