秋の夜は悩ましい。Aですか? Bですか?

 

 

  A 満開の桜のなかに母を棄てるごとき心をもつらし吾子は

 

  B 満開の櫻のなかに吾の子はも母を棄てゆく心もてりき

 

  A: 解釈

  いま満開の桜の中に居るわが子を見て、あの子はいま、母を棄てるような心を

  持っているのだろうか、そのように見えるけど・・

  と外側から観察して推測している解釈になる。

  捨てるごときと比喩したことで他人ごとになってしまい、

  しかも、現在進行形に解釈できる。

  棄てる、の意味を考える前に余裕がなくなり、不穏さばかりが印象になり、

  「棄てる」の奥が気になるのに覗けない。

 

  B: 解釈

  母として過去にしっかりと見届けた、あの痛み。吾が子の覚悟とそれを見抜

  いて黙ったままそれを受け止めていた。

  そして”いまも”母である我が、胸に抱きしめている”現在の”心情。

  その心情を、現在のかたちで置かれていることを読み解けばよい。

  だから「棄てる」の意味はここではもはや具体的な理由をわかる必要はAより

  薄くなる。それだけの何かが親子の間にあったんだ、でよいではないか。

 

  A・Bの解釈の違い

  Aの解釈では、それを、そうなのかしらと現在進行形に書き換えられているか

  ら、なんで?なんで棄てるの?と読後に不消化を起こす。にもかかわらず

  B作品はA作品のほうが良いと言語道断で添削されて掲載されたという経緯。

  技術的に言葉を整理したに過ぎない添削をされた。____と、作者は思うの

  です。

  Bを詠んだ人の、ある意味「絶唱」のように詠い残した作品に込められたこころ

  は何処へ消えた?

 

  わたしの名前で掲載されたAの歌は、わたくしのうたではありません。

  うまく無い歌であっても、私の歌は、Bの歌なのです。

   (何より嫌なこと。私の歌でない歌に私の名前がついているってこと)

 

  八十年生きてる婆さんの心情を、四十五十、六十の編集者のお好みの型に嵌め

  ないで欲しいって思うのは。。。老婆の傲慢でしょうか

  「お前さん、何者のつもりなんだい」・・ってこの婆さんは言われてんだろう

   うな、

    ( へへ、写真外しました。ブログ開くたびに自分の顔見るのはやはり

      勇気が要ります。疲れます(^_^;) )