突然ですが、今年度かぎりでプロを辞めることに致しました。

思えば6年以上も協会に在籍させていただいたのに、自分の努力不足で何も残せず、お世話になった先輩に恩返しすることも出来ず、後輩のお手本になることも出来ず、後悔ばかりです。

それでもプロの端くれとして活動していく中で、団体問わず出会えたプロの皆様、雀荘で出会ったお客様、色々な場所で出会えた麻雀愛好家の皆様、様々な出会いに心から感謝しています。

皆様との出会い、その皆様からいただいた優しい言葉、厳しい言葉全てが私の大切な財産になりました。

私にとってはあっという間で短い時間でしたが、本当に協会に、麻雀プロの世界に入って良かったと思いました。

既に報告が済んでいる方々からは、嫁にでもいくのか?とよく聞かれますが、残念ながらまだ嫁にいけるほど人として自立できておりません(;^_^A

プロになる直前まで働いていた仕事に当時から興味があり、親にこれ以上心配をかけるのも申し訳ないと思い、その道を目指すことに致しました。

4月から通信制の短大で勉強しながら卒業と国家資格の取得を目指します。

学歴もなく、四則演算もまともにできない低偏差値の我ながら無謀な選択をしたな、とは自覚しております。
今まで何もかも中途半端に生きてきた自分が出来るのか、そんな不安もあります。

それでも挑戦したいと思い、両親を安心させてあげたいと思い、いい加減自立しなければと思い、決断をしました。

今後はただの一麻雀好きとして、たまにどこかの雀荘で麻雀を楽しみたいと思います。
Twitterは今後も変わらずくだらないことをツイートしますし、今までもあまり更新していませんでしたがこのブログも気の向くままに使い続けてみようかなと思ってます。

最後に告知になりますが、プロになった直後からお世話になり続けていた麻雀Funでの出勤を最後に、プロ活動を終えたいと思います。

3月23日(日)10時~22時
最後の出勤になります!
少しでも良いのでお顔を出していただければ嬉しいです。

皆様本当に大変お世話になりました。
ありがとうございました。

じゃらじゃらじゃら…


深夜の我が家に響く音。


「これ、お父さんたちに持っていってあげてね。」


母に渡されたお盆の上には、麦茶のグラスが四つ。



大人の遊びに興じる父たちにグラスを配り、父の隣に座ってみる。


「いやぁ、筋だから通ると思ったんだけどな―」

「こりゃデバサイ食らっちゃったね―」



そしてまた、じゃらじゃら…



数年前に面子の一人が病気で亡くなったことがきっかけで、その後父たちが卓を囲むことはなくなった。

あの後どのくらい、父は牌を握っていなかったのだろう―




私が麻雀を覚えたのは十七の時。

当時、放課後に入り浸っていたテニス部の部室で覚えた。

(ちなみにテニス部でもなんでもないのだが。)


それから高校を卒業しても、しばらく麻雀ばかりやっていた。

とはいえ実際に牌を触るのではなく、地元の廃れたゲームセンターで毎日麻雀をしていた。



あるとき面白いほど跳満、倍満ばかりアガれる日があり、


「もしかしたら私、結構強いんじゃないか?」


などと勘違いしてしまったのである。

そして偶然にもそのゲームセンターの隣には雀荘があるのだ。



無邪気にその扉を開くと、強面のおじさんたちが卓内からじろりとこちらを見てきた。

しかし麻雀に自信のあった私は、そんな視線どうとも思わなかった。

―だってさっき跳満と倍満いっぱいアガったし!


いかにもらしいチョッキを着たメンバーのおじさんに


「預かり金一万です。」


と言われ、五千円しか持っていなかった私はものの一分で店を出た。



もうなくなってしまったから書けることだが、その店のフリーは二百円の東風戦であった。

この店は後にセットでよく利用したのだが、そういえばフリーの卓では一万円札がばっさばっさと飛び交ってたし、そういえば深夜にいかにもな恐いおじさんが怒鳴り込んできたこともあった。



まぁ色々と穏やかでない雀荘ではあったが、セットで利用した際はメンバーのおじさんたちが可愛がってくれたし、私はこの店がとても好きだった。



毎晩のように入り浸っていたその店も、五、六年前に閉めてしまった。

それとほぼ同時に、隣のゲームセンターもつぶれてしまった。

地元からめったに出ることのなかった私は、麻雀をする場所がなくなってしまった。




何年か前の元旦の夜、初めて父と麻雀をした。

久しぶりに牌を握る父は本当に楽しそうで、得意のサンショクばかりアガっていた。


「おまえ、俺より強いよ―」


麻雀を終えた後、私に向かってそう言った父に侘しさのようなものを感じずにはいられなかった。



私はプロになり、そして新しい「場所」を見つけたのだ。



今年ももう十一月だというのだから、時間の経過は本当に早いなぁ、と思う。

来年の元旦、また実家に帰ったら―



お父さん、あのときよりまた少しだけ、強くなったよ。

「別に、いつ死んでもかまわない。」



これは私の口癖だ。

半分本当で半分嘘、半分本気で半分冗談である。



とはいえ、死というものに対して恐怖心がないわけではない。

自らこの言葉を口にすることで、「いつ死んでも後悔のない人生を」という、自分自身に向けた威圧行為

そして生への執着を払拭することで、大胆不敵な自分を演じていたかったのだ。



私が小学二年生の夏休み、突然家に家族が増えた。

とはいっても、妹や弟ができたわけではない。

母の友人の家族がしばらくの間居候することになったのである。



ゆかりさんというお母さん、裕太君という四歳上の長男、圭太くんという二歳上の次男の三人。

一人っ子だった私にとって、兄弟ができたように思えた夏休みはとても楽しかった。

夏祭りにも行ったし、プールにも行ったし、家ではプロレスごっこに興じたりした。



裕太君も圭太君も嫌な顔ひとつせず私の遊び相手をしてくれていたし、

ゆかりさんは毎晩お風呂上りの私の髪を乾かしてくれた。



ゆかりさんは、

「かずみちゃん、ありがとう、ありがとう。」

と、家に迎え入れてくれた感謝を事あるごとに口にしていた。



悪気のない子ども心とはなんとも残酷なもので、


「なんでお父さんはいないの?」


と、無邪気に聞いてしまったことがある。


ゆかりさんは優しい顔で、


「お父さんはね、いなくなっちゃったの。」



と言っていた。



今ならばこんなことを聞くこともなければ、

このときゆかりさんの優しい顔に一瞬紛れ込んでいた、悲しげな瞳に気付くことができるのに―



夏休みが終わると同時に、ゆかりさんの家族はうちを出ていった。

住む場所が見つかったのだという。



何年か後に母は語ってくれた。

ゆかりさんの旦那さんは借金にまみれ、恐い人たちに追われていたのだという。

旦那さんは家族を置いて蒸発し、やむなくゆかりさんは子どもたちを連れて私の家に助けを求めてきたのだという。



「別に、いつ死んでもかまわないし。」


先日私が実家に帰って母と話していたときに、ふといつもの口癖が出てしまった。

―しまった、と思った。

自分なりの意味合いがあるとはいえ、自分を産んでくれた母の前では冗談でも言うべき言葉ではなかった。



私が気まずさに耐えかねていると、母が立ち上がって押入れから何かを持ってきた。

一通の手紙だった。



「見てみて。」

そう言われ、一通の手紙を差し出してきた。



「ゆかりさんへ。

どんなにかなしくても、ぜったいにしなないでください。

わたしはいつまでもゆかりさんのみかたです。」



ゆかりさんの家族が出て行った後すぐに、私が書いたものらしい。

ゆかりさんは数年前、病気で亡くなったのだ、と、そのとき聞いた。

手紙は遺品として母が裕太君から渡されたようだ。


そしてゆかりさんは母と電話で連絡を取るたびに、



「かずみちゃんがくれた手紙が生きていく支えだった。

あの手紙がなければ、私はとっくに死んでいたかも知れない。」



と、何年経っても毎回言っていたのだという。



私は、知らず知らずのうちにひとつの生命を繋ぎとめていたのかもしれない。


「別に、いつ死んでもかまわない。」


そんなことを言っている私が、だ。



私はこの言葉を口癖にしていたことを後悔した。


「後悔のない人生を」


そう自分に言い聞かせるための口癖だった筈なのに―

「はい、これお土産だよ」

彼女はいつもそう言ってお菓子の入ったビニール袋を渡してくれる。

「なに、またパチンコ行ってきたの?釘締まってんだから行っちゃだめだよ」

いつもそんななんともない会話を、彼女の肩を揉みながら交わす。


歳はおそらく私の母と同じくらいかもう少し上、だろうか。
まぁ彼女はいつも冗談で、

「私煙草買えるかしら?19に見えないかしらね」

とか言いながら笑っているのだが。


そんな彼女が昨日、パチンコの景品と一緒に

「これ見た瞬間に、あんたの顔が浮かんだんだよね」

と、ピンクゴールドのネックレスを渡してきた。


雀荘の一客人と一従業員。

だけど彼女が私を娘や孫のように可愛がってくれているのは感じていたし、私も彼女をどこか母親のように思っているところはあった。

それでもまさか私のために贈り物をしてくれるとは思ってなかったし、私の顔が真っ先に浮かんでくれたことが嬉しかった。


今度またパチンコ帰りの気まぐれな彼女がやって来たら、肩をほぐしてあげよう。

彼女が好む少し強めの肩揉みに、感謝の気持ちも目一杯込めて。

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例えば私の幸せは、

お客さんと仲良くなれることだったり、
多くの人が麻雀を楽しむ姿を見ることだったり、
好きな人との時間や会話。


それが日常になると、そのこと自体の幸せを忘れる。

ただの「何もない日」に成り下がる。


お客さんが自分の出勤日に来てくれることだって、
好きな人たちがしてくれる会話だって、
ただ好きな本を読むことだって、
入浴剤をいれてお湯に浸かるだけのことだって、
お風呂あがりの晩酌だって

私にはこの上ない幸せだ。

幸せになることは、身近な幸せに気付くことからだ。