思いやり | 千歳日記

千歳日記

この先にある未来を…

たとえどんな未来でも私は見届けてみせる

最後まで…必ず

思いやりには形がありません。

では何をもってそれを『思いやり』とするのか。

難しいですね(苦笑)





私が思いやりと感じた事は『相手を思い行動すること』です。

自分を押し通す。

その中で相手を思い譲る。

相手の立場を考える。

その中で自分を否定しない。

自分を押し殺してまで行動する場面もあるやもしれません。

しかしむやみにそれをするのは単なる『自己犠牲』であり『自己満足』だと思います。





太宰治の作品に『蜘蛛の糸』があります。

お釈迦様が地獄に落ちた男の生前の善行(蜘蛛を殺さず命を救った)を思い出し、救い出そうと一本の蜘蛛の糸を男めがけて下ろします。

男は蜘蛛の糸に掴まり地獄から脱出しようと昇り始めますが、数多くの罪人達が下から続いてきます。

男は「これは俺のものだ。降りろ。」と喚くと糸が切れ、また地獄に落ちて…。

確かに細い蜘蛛の糸では、多数の者を救う事は出来なかったでしょう。

しかし他の者を思いやり、別の言葉を叫んだのなら、男は別の結末を迎えられたのではないでしょうか?


という事を、蜘蛛を見て思いました。