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不思議です。
一つ問題が解決すると、また違う問題が浮上するのですから。
言葉、文字というものは、目で見て、耳で聞いて、自分の頭で理解するものですよね?
その言葉すら通じない人の相手をしなくてはならなくなったとしたら…皆さんはどうしますか?
『千歳ちゃんはやっぱり馬鹿だね。そんなの最初から相手にしなきゃいいんだよ。』
『くだらん。時間の無駄だ。一切相手にするな。』
なんて沖田さんの嫌味な言葉と、斎藤さんの不機嫌そうな声が聞こえてきそうです(苦笑)
相手をしているわけではないのです。
私がお願いしている事をまったくご理解いただけなかったので、その旨をきちんとお知らせしたのですが…それすら読んでいただけなかったようです(溜め息)
二度目に文をいただいた時はあまりにも信じられなくて…だって一度目と同じ文の内容とまったく同じものがそこには書かれていたんです。
正直憤慨しました。
この人はなんて恥知らずなんだろうと…本気でそう思いました。
この場でもう一度はっきりと私の考えを申し上げます。
私が信頼出来ると思った人、大切に思える人を『あめんばー』としてお迎えしています。
信頼や絆は一朝一夕で手に入るものではありません。
しかし時間をかければ必ず手に入る、結べるものでもありません。
私は彼らの言葉の中に『本気』を見ました。
だから私は、彼らと絆を結ぶ道を選びました。
でもあなたは違う。
あなたが発したたった一言「よろしく」の中に、いったいどんな『本気』が隠されているというのでしょうか?
【仏の顔も三度】
私は生憎と仏様ではありませんから、三度も大目に見る事は出来ません。
ちなみにこの言葉の本来の意味は「間違い大目にみてくれるのも三度まで」ではなく、「どんな温厚な人もたびたび無茶な振る舞いをされるとついには怒る」が本来の意味です。
私は温厚な人間でもありませんから、一度の無法で腹を立ててしまいますけど(苦笑)
こういった事情がありましたので、当面の間あめんばーの受付は停止いたします。
これ以外にももう一つ、困った事を抱えています。
空気が読めない、相手の意図している事が読めない人…所謂『けーわい』と呼ばれる人と距離を置くには、どうしたらいいんでしょうね(深い溜め息)。
実はこちらの方が深刻なのです(苦笑)
はぁ…人づきあいって難しいです。