第195話「ある殺人」

放映日:1976/4/9

 

 

ストーリー

山村は週刊知識社に入り、編集長の三田村宏一(56歳)(下元勉さん)のもとを尋ねた。

三田村は発行部数65万部、業界でも5紙に入る週刊誌の陣頭指揮を執っていた。

三田村は編集の締め切りが差し掛かっていたため、部下にやり直しを命じていた。

三田村は山村を応接室に案内した。

山村は三田村に、三田村の娘の三田村広子(柴田美保子さん)と関口誠一(山下勝也さん)の写真を見せた。

弘子はかつて七曲署捜査一係を訪れたことがあった。

関口は週刊知識社の社員で、弘子の婚約者だった。

しかし、関口は昭和46年(1971年)4月10日の午前6時に、居眠り運転でカーブを曲がり切れず、橋の欄干に激突して車が横転し、即死していた。

山村は三田村に、関口が事故死ではなく、他殺の疑いがあることを知らせた。

三田村は当時の事件が警察により事故であると判断されていたため、事件を事故と認識していた。

山村は真犯人の目星を三田村に付けていた。

三田村は嘲笑したが、山村は、三田村が関口に弘子を渡したくないためだと思っていた。

捜査一係捜査員は事件の捜査のために出払っていた。

午後5時5分、明子は野崎が、一つ間違えれば山村が三田村に名誉棄損容疑で訴えられると発言していたことを覚えており、心配していた。

藤堂は明子を励ました。

山村は三田村に、関口が住んでいたマンションの写真を見せた。

三田村は関口の実家から頼まれてマンションを選び、挙式まで先に関口が入居していたことを話した。

山村はマンションから週刊知識社までの距離が、電車を3回乗り換えて1時間30分、駅から歩いて15分かかるため、通勤に不便であるということを指摘した。

三田村は直後に、関口に車を買い与えていた。車に細工の跡は見られなかった。

山村は、三田村が関口を2年間に都合5回、海外に派遣していることを指摘した。

関口は昭和44年(1969年)6月に東南アジア、昭和44年11月に中近東、昭和45年(1970年)2月にアフリカ、昭和45年4月に南米、昭和45年6月に東南アジアに派遣されていた。

三田村は関口の海外派遣を勉強と思っていた。

関口は昭和45年(1970年)12月20日に、取材中に谷川岳で遭難しかけたことがあった。

関口は昭和46年3月10日、三田村と弘子と伊豆に釣りに出かけて行ったとき、海でボートが転覆し、溺死しかけたこともあった。

三田村は仕事に戻ろうとしたが、山村は今まで三田村が確認し直したことの一つ一つが証拠であると告げた。

石塚と三上は関口の知人と友人を捜査していたが、山村の調査事実以外の新情報が浮かんでこなかった。

藤堂は石塚と三上に島を補助するように連絡した。伊豆から野崎が帰還したが、新情報を入手することはできなかった。

山村は5年間に単独で事件を捜査していたが、このままだと決定的な証拠が掴めない状態だった。

4年前(1972年頃)に週刊知識社の運転手を退職し、現在は定期便の運転手をしている川辺(増岡弘さん)という男の証言が必要な状態だった。

島と田口は川辺を捜索しようとしていたが、定期便の運転手は数多く、なかなか見つからなかった。

田口は絶望的になっていたが、島は川辺を今日中に見つけようと懸命になっていた。

午後7時になり、応接室で待機していた山村は、再び三田村に事情聴取を行った。

三田村は当日が一番多忙な雑誌の発行の締め切り日だったため、事情聴取を嫌がっていた。

山村は関口が免許を取得したのが、関口が車を買う半年前だったことを伝えた。

関口は車を乗りたくて興奮している時期で、せっかちな性格だったため、山村は事故が必然的に起こりやすくなると考えていた。

三田村は関口の死因が居眠り運転であると発言したが、山村は関口の居眠り運転の原因も三田村だと思っていた。

関口の死亡事故が起きたのは会社から帰宅する途中の朝であり、関口は風邪気味なうえに徹夜明けで疲労しきっていた。

山村は4月10日の午前5時、週刊知識社の駐車場にて、三田村が関口に風邪薬を渡したと推理していた。

三田村は渡したことを否定したが、山村は三田村が関口に風邪薬を渡すのを目撃した証人がいることを告げた。

三田村は関口が体調のことを考慮し、電車で帰宅すれば良かったと思っていた。

山村は遠距離にあるマンションの帰宅経路の影響で、関口が車で帰らざるを得なかったと考えていた。

怒った三田村は山村に、風邪薬を渡したら犯罪になるのかと質問したが、山村は認めた。

山村は刑事の職業が犯罪の摘発であると伝えたが、三田村は山村を名誉棄損で告訴しようとしていた。

山村は告訴を何とも思わず、三田村が関口の素直な人柄、編集長であり上司であり弘子の父である自分に対する絶対的な信頼感、一本気な性格を計算に入れていたと推理した。

三田村は山村の目的が何かを考えていたが、今日が4月9日であることを確認した。

5年前の4月10日に関口が死亡しており、今日が公訴時効5年の期限であった。

三田村は、山村の狙いを三田村のミスを指摘して重過失致死罪をでっち上げ、自分の検挙件数の増加させることではないかと直感した。

三田村は自分の関口に対する行為が仮にミスだった場合でも、それは善意から出た行為で軽犯罪にも該当せず、小さなミスを一つ一つ犯罪扱いされると社会生活が成立しなくなるのではと反論した。

山村は幾重にも積み重なった小さなミスの裏に関口への悪意があった場合、ミスではなく罠だと指摘し、これほど人間性を失った殺人もないと伝えた。

三田村には7年前の事件を丹念に調べ尽している山村を恐れ、山村の目的と自信にあふれた目の理由が分からなかった。

時効の午後0時まであと3時間30分になっていた。三田村は山村に対し挑発した。

三田村は関口の、過酷なベトナムの戦場の取材から帰還した後に命じた仕事を覚えていなかったが、山村は関口と城北大学が谷川岳で遭難した事件の記事を見せた。

登山経験のない関口にとって冬山は悪魔であり、取材初日に遭難し、凍死寸前に救出されていた。

山村はボート転覆事件の際に三田村がボートに乗船していなかった理由を尋ねた。

三田村は婚約中の2人を邪魔したくないという理由で、別の船に乗ったからだと答えたが、山村はそれが嘘であると見抜いていた。

山村が嘘を見抜いた理由は、当日には時化の予報が出ていたため、海に詳しい三田村にとっては危険が予知できたはずではと思ったからであった。

三田村は弘子にまで危険な目に遭わせた理由が分からないと反論したが、山村は2人を救助した救助隊の隊員により謎を解いていた。

救助隊の隊員(伊東平山さん)は現場に到着後、弘子から助けようとしていたが、弘子が沈没寸前の関口を指差していたため、関口の方を先に救助していた。

弘子は高校時代に水泳の選手で、国体にまで出たことがあった。

三田村は弘子の危険のため、時気になるとすぐに救助に依頼していた。山村は全く泳げない関口が溺死する可能性が十分にあったと考えていた。

三田村は関口を一人前のジャーナリストに育成しようとしていたが、どうにもならず、無能な男と認識していた。

山村は無能な関口が弘子と愛し合ったことが、三田村には我慢できなかったため、関口の事故死の確率を高め、成功したのではないかと質問した。

三田村は関口の死を人間界の自然淘汰と認識し、認めなかった。

山村は三田村が「確率の犯罪」を辛抱強く続けていたら、犯罪の立証が不可能な状態になっていたが、三田村が風邪薬という小さなミスを犯したと告げた。

山村は三田村が、関口と弘子の結婚式が近づくにつれて焦り、車を運転するときに風邪薬を飲まない関口に、風邪薬を眠くならないと保障したのではないかという推理を立てていた。

三田村は風邪薬を渡したことを覚えていなかったが、山村は川辺の写真を見せ、当時の現場のすぐ近くの車の中に川辺がいたことを伝えた。

山村は川辺が三田村と関口の会話の内容を聞いていたのではないかと思っていた。

川辺は以前、三田村が風邪薬を渡すのを見たと週刊知識社の部員に漏らしたことがあった。

川辺の証言さえあれば、三田村の殺意を証明することができた。

島と田口は、川辺が定期便の運転手として勤務している京浜倉庫を探し当てた。

川辺は京浜倉庫の寮に住んでいたが、現在は仕事で青森まで行っており、東京に帰還するのは明朝の午前1時の予定だった。

午後11時、藤堂は島に、川辺が東京より2時間手前の距離で埼玉県を走っていると察知し、北上して出迎えるように命じた。

島は田口を運送会社に残し、車を発進させた。

藤堂は石塚と三上に、川辺の運転している、ベージュとえんじ色のツートンカラーでナンバー「横浜 と 1-64」のトラックを連絡し、国道6号を北上するように命令した。

三田村には山村が自分に固執する理由が分からなかった。

京浜倉庫に川辺から、食事で東京に帰還するのが遅れるという電話が入った。

川辺の居場所が判明し、藤堂は石塚と三上に食堂への急行を命じた。

石塚と三上はついに川辺を探し当てたが、時計の針は午後12時(午前0時)を回っていた。

三田村は時効成立を確信し、安堵した。週刊知識社に藤堂から連絡が入った。

川辺は三田村が風邪薬を眠くならないものと発言していたと証言したが、そのときには午後12時になっていたため、時効が成立してしまった。

三田村は山村との時間を奇妙な数時間と評した。三田村は自分に完全な殺意があったとしても、自分を逮捕することが出来ないと述べた。

山村は三田村に関口への殺意があったのかを再度尋ねたが、三田村は関口への殺意を認めた。

三田村は弘子が無能な関口に惚れていることが我慢できず、関口の死亡を心から願っていた。

山村は最初から事件の問題点を殺意の有無と定めていた。

三田村は重過失致死の時効が成立したために事件の終焉を確信していたが、山村は三田村が殺意を認めた以上、重過失致死罪ではなく殺人罪になると告げた。

山村はもう一度事件を捜査し直し、殺人の時効である10年後までに動かぬ証拠を見つけ出すと宣言した。

山村は5年前の事件の翌日、一係室を弘子が訪ねてきたことが捜査の始まりだったということを話した。

弘子は関口に風邪薬を奨めたときに風邪薬を飲まなかったことから、関口が誰かに騙されて風邪薬を飲んでしまったと察知していた。

関口はいつも失敗ばかりで、自分でも無能であることを認識していたが、弘子は関口の何事にも一生懸命な性格を好きになっていた。

弘子は事件の真実を知りたい一心で、号泣しながらも山村に事件の捜査を懇願した。

山村は弘子の涙を忘れる事が出来ず、暇なときに事件をこつこつと捜査していた。

山村が関口の両親に話したのが1ヵ月前、証人の川辺の存在を掴めたのが5日前のことだった。

山村は弘子の記憶の中に証拠が無いかを確かめようと、三田村の自宅を訪ねていた。

弘子は翌日の命日に、高知にある関口の実家に旅立っていた。

三田村は関口の実家に電話をかけたが、弘子は不在だった。弘子は事故から5年後の現在でも関口を愛しており、関口の死亡に疑惑を持っていた。

山村は三田村に、弱い者にとっては人を愛することが生きるということであり、それを考えたことがあるのかと質問した。

山村は三田村が自分に会いに来る日を待っていると言い残し、応接室を去った。

三田村は一人、応接室で号泣した。

 

 

メモ

*山さんと三田村編集長(下元勉氏)との静かな対決がほとんどで、他の一係捜査員の出番はかなり少ない。

*前回が大掛かりなロケーションを行った作品だったため、セットが少なく済む作風になったと思われる。それでこの傑作が生まれたのは、やはり露口氏と下元氏の演技力とスタッフの力量であると信じたい。

*「確率の犯罪」をテーマにした作品。一見大したことのないように見える事実が積み重なり、死亡するこの犯罪は確証の入手が非常に困難で、犯罪捜査に執念を持つ山さんだからこそ解決に持ち掛けられたのかもしれない。

*何千何万台と車が走る高速道路で、トラック1つを探し当てるのは困難。電話のタイミングが遅すぎたとも言えなくもない。

*「サザエさん」のマスオさんや、「アンパンマン」のジャムおじさんの声優で知られる増岡弘氏が「太陽」初出演。この後も端役で多数の作品に出演している。

*川辺の捜索が間に合わず、残念ながら三田村に重過失致死の時効を迎えられてしまった山さん。山さんの数少ない敗北の一つ。「殺人者に時効はない」でも、犯人の時効成立を許してしまっている(しかし、そちらは別の殺人を犯して逮捕された)。

*5年前の回想シーンだが、なぜか、まだ山さんが短髪ではなく現在のような髪型。

*山さんの名言「弱い者にとって人を愛することが生きるということ」

*事件の解決は明確に描写されなかったが、三田村が一人で号泣しているシーンを見るに、何らかの形で罪を償う決意をした可能性は高い。

 

 

キャスト、スタッフ(敬称略)

藤堂俊介:石原裕次郎

三上順:勝野洋

田口良:宮内淳

野崎太郎:下川辰平

 

 

矢島明子:木村理恵

三田村宏一:下元勉

三田村広子:柴田美保子、関口誠一:山下勝也

川辺:増岡弘、溝呂木但、救助隊隊員:伊東平山(現:吾羽七朗)

藤竹修、トラック運転手:篠田薫、竹内靖

 

 

石塚誠:竜雷太

島公之:小野寺昭

山村精一:露口茂

 

 

脚本:小川英、杉村のぼる(現:杉村升)

監督:竹林進