憐憫
理性の指図にしたがって生活する人は、できるだけ憐憫に動かされないように努める。
また彼は概して憎しみ、笑いあるいは軽蔑に値する何物も見出ださないであろう。
また何びとをも憐れむことがないだろう。むしろ彼は「正しく行いて自ら楽しむ」ことに努めるであろう。これに反し容易に憐憫の感情を催し他人の不幸や涙に動かされる者は、後に到って自ら悔いるような行いをしばしばしているのである。なぜなら我々は、感情に基づいては、善であると我々の確知するような何事をも為すものではなく、また我々は偽りの涙に容易に欺かれるからである。
また彼は概して憎しみ、笑いあるいは軽蔑に値する何物も見出ださないであろう。
また何びとをも憐れむことがないだろう。むしろ彼は「正しく行いて自ら楽しむ」ことに努めるであろう。これに反し容易に憐憫の感情を催し他人の不幸や涙に動かされる者は、後に到って自ら悔いるような行いをしばしばしているのである。なぜなら我々は、感情に基づいては、善であると我々の確知するような何事をも為すものではなく、また我々は偽りの涙に容易に欺かれるからである。
希望および恐怖
安堵・絶望・歓喜・落胆もまた無能な精神の標識である。なぜなら安堵および歓喜は喜びの感情であるとはいえ、それは悲しみ即ち希望および恐怖の先行を前提としているからである。だから我々が理性の導きにしたがって生活することにもっと多く努めるにつれて我々は希望にあまり依存しないようにまた恐怖から解放されるようにまたできるだけ運命を支配し、我々の行動を理性の確実な指示にしたがって律するように努める。