クリューシッポスの書物を理解したり、解釈したりすることができるのを人が自慢するとき、自分でひそかに言うがいい。「もしクリューシッポスが不明瞭に書かなかったら、この人は自慢するものが何もなかったろう」と。


凡庸な精神しか持たぬ人々にとって、彼らの学門する態度はまことに便利である。なぜなら彼らの用いる種々の定義および原理の不明瞭であることが、彼らをしていかなる事もすべて知っていると同様に大胆に語らせ得ることになるし、最も細密で最も精巧な定義や原理に対しても、彼らが論破しようと思うことはこれをすべて主張させ得ることになる。この場合何人も彼らを説き伏せる武器を持たないのである。彼らはまさにこのことでは、目が見える者と対等に戦うために、相手をどこか真っ暗な洞窟の中に連れ込む盲人そっくりだと私には思われる。