もし我々が意欲に関する論文をよむのが、意欲について何が言われているかを見るためではなく、我々が善く意欲するためならば、我々は読書を妨げられても腹をたてないだろう。また欲望や忌避に関する論文を、欲して失敗しないように、忌避して陥ることのないために読むならば、また義務に関する論文を、事柄を非合理的に義務に反して為したりしないために読むのであるならば、我々は腹をたてず、それに対応した行動を為すことで満足し、そして我々が今まで数えるのに慣れていた、「今日私は何行読んで何行書いた」ということを数えないで、「今日私は哲学者たちから教わったように意欲した。そして欲望せず、ただ意志の左右し得るものに対してのみ忌避し、誰それから脅しつけられず、狼狽させられず、忍耐と禁欲とを練習した」と言うようになるだろう。