皇帝に優遇されないことだ、と或る者は言う。彼は見当が外れている。彼はまごついているのだ。なぜなら彼はたまたま皇帝の優遇を受けることに成功したとしても、それでも求めているものを得るのに成功しなかっただろうから。すべての人の求めているものは何か。それは安定しているということ、妨げられ強いられないということである。そうすると、皇帝の友となった時に、妨げられるのは止んでしまっただろうか。強いられるのは止んでしまっただろうか。我々は誰に聞いてみようか。皇帝の友となったちょうどその人よりもいい証人がいるだろうか。
真ん中にやってきて我々に言ってくれたまえ、何時の方がより安眠できたか、今かそれとも皇帝の友となる前か。
すると彼は「やめてくれたまえ、私の運命をからかわないでくれたまえ。私がどんなに可哀相な目にあっているか君は知らないのだ。私に睡眠がやってくるどころか、次々に人がやってきて、皇帝はもうお目覚めになりました、などと言うのだ。それからのあわただしさや気苦労ときたら」と言うだろう。
さあ、食事は何時のほうがより気楽だったか、今かそれとも以前か。
これについても、彼が何と言うか当人に聞くがいい。つまり、もし招待されなければ彼は煩悶するだろうし、またもし招待されれば、彼はちょうど奴隷が主人の傍らでするように、馬鹿なことを言ったりしたりせぬかと心を使いながら食事をするのである。