「昔風のスペイン歌曲集」(1910年)より
「ゴヤのマハ」
アルベニスはピアニスト兼作曲家で、フランツ・リストに師事しようとしたが、実現はしなかった。
「国民学派」「ロマン派」などと分類されるが、スペイン色が濃厚というわけでは特になく、楽器や形式はそれまでのクラシック音楽のものを踏襲し、和声や曲展開などで複雑なものを用いない、といったところである。
ピアノソナタOp68は1886~8年の作品。
組曲
スペイン組曲Op47は1886年の作品。
Cataluna
「Sevilla」
「Cuba」
12Piezas caracteristicas Op92は1888年頃の作品。
Torre Bermeja「朱色の塔」
Seis hojas de álbum, Op.165(1890)より
Cantos de España Op. 232 (1898)よりCordoba
マヌエル・デ・ファリャ(1876~1946)
「恋は魔術師」は最初「歌入りの劇」の形で作られたが、不評であった。そこでファリャはこの作品をオーケストラ用の組曲にアレンジし直したところ、うまくいったことから、バレエへの再編曲を決意した。
ファリャはフランス滞在中にエンリケ・グラナドスと同じピアノコンクールに出場したことがある。結果はグラナドス優勝、ファリャは審査員賞をとった。
1914年の第一次大戦勃発時にフランスからスペインに戻り、暫くしてからグラナダに長く腰を落ち着けた。
バレエ音楽「三角帽子」より
Joaquin Turina(1882~1949)
Partita in C Major, Op. 57:
II. Zarabanda
Preludios, Op. 80:
No. 4. Allegretto
スペインのバレンシア州のザグントに生まれる。3歳のころに悪性ジフテリアにかかり、視覚障害者となり視力を失う。8歳でピアノとヴァイオリンの学習を始める。地元バレンシアでフランシスコ・アンティチに、パリのエコール・ノルマル音楽院でポール・デュカスに作曲を師事。短期間スペインに帰国した後、パリに舞い戻って音楽学をモーリス・エマニュエルおよびアンドレ・ピロに師事。1924年に管弦楽曲《子どものための5つの小品》によりスペイン国家賞を授与される。
1933年1月にバレンシアにてトルコ人ピアニストのビクトリア・カムヒと結婚し、一女のセシリア(1941年1月27日 - )を儲ける。1947年よりマドリード総合大学の哲学科・文学科の教授として音楽史を担当した。
Zarabanda lejana(1926~1930)
II. Andante moderato
ピアノ曲
Suburbis(1917)
Cançons i danses
No. 1 (1918~1926)
No.5(1942)
No.6(1942)
No.9(1948)
No.10(1953)
No.11(1961)
Paisajes
La fuente y la campana(1942)
Preludes
No. 1(1927~1928)
No.5(1930)
Pessebres: I. Dansa(1914~1917)