前々回の記事で示した当ブログの方向性と少しずれます  ( 前々回の記事 ) 。

 現在、私は、戦前の日本の軍部(主に陸軍)による強硬路線について、

日本の軍や政府は何故、強硬路線に走ったのか、という観点から、歴史資料の

行間読みをしています。

 

 そして、当時は「英語圏の人材に対する軍や政府の評価」が「中国語圏の人材

に対する軍や政府の評価」よりも高かったことが、陸軍の暴走に影響していた

のではないか、という点が、見えてきたようです(この点は、まだ、私の仮説の

段階なので、今後も歴史資料読みを続ける必要がありそうです。)

 

 考えてみると、満州事変の石原参謀も、石原参謀と気脈を通じていたとされる

吉田茂(後に首相)も「中国語圏の人材」でした。

 昭和初期の強硬路線に、中国語圏の人材が多く関与していた事実と、中国語圏の

人材に対する日本政府や日本軍の評価が低かったことは、何らかの関係性があった

のではないか、と思います。

 上記の点についても、解明することで「日本の右傾化への対応策」を考える

ヒントが見つかるかもしれません。