統帥権干犯論問題の一人歩きと、軍部・右翼の動向との関係
大日本国憲法(明治憲法ともいう)の第11条・第12条における統帥権の解釈の
問題は、元々、日本政府が軍部を刺激することを恐れて大正期以降も解釈を回避
してきた問題だった。
天皇の統帥権は明治憲法第11条の作戦・用兵にかかると解釈される統帥権と、
第12条の編成・予算にかかる内閣の輔弼事項と解釈される統帥権に分けて解釈
されるとしたのが、当時の憲法学者や日本政府の立場だったが、昭和5年4月下旬に
統帥権干犯論が取沙汰されると、統帥権干犯論(政府の権限逸脱が起きたかのよう
な誤解と感情論)の一人歩きが起こり、ロンドン軍縮会議以来鬱積していた軍令部
の不満が最高潮に達した。
また、国内メディアも統帥権干犯論の問題が政治問題であるかのように書きたて
たので統帥権干犯論問題の一人歩きが続いた。
軍令部(海軍)の不満には陸軍も同調するようになり、右翼団体も呼応して統帥権干
犯論問題の一人歩きが、後の右翼テロやクーデターなど、軍部台頭の原動力になった
経緯が歴史資料などからも明らかだ。
しかし、昭和5年ごろから昭和11年にかけて、実際に統帥権干犯を叫び右翼テロを
煽動したり同テロを決行した当時の右翼青年たちは、統帥権問題(憲法解釈の問題)
の中身を殆ど理解していなかったことが、当時の調書・記録などからも垣間見れる。
このことは、「昭和の戦争は何故起きたのか?」という疑問を解き明かす上でも
重要な事項だが、現代には余り語り継がれていない歴史事実の一つだろう。
なぜ、昭和の右翼テロリスト達は、自分達の頭脳では理解できない「統帥権干犯」を
叫んで政党政治を攻撃したり軍部のクーデターを煽ったりしたのか?
(今後検証すべきテーマ)
前記の青字部分で記載したテーマは、引き続き、歴史家や各方面の学者の皆さんにも
参加してもらって検証する価値の高いテーマと言えるのではないだろうか。