昭和天皇が「よもの海~(の明治天皇作の和歌)」を詠んだ御前会議で

1、昭和16年(1941年)9月6日、御前会議でも国内右派を懸念する声が
2、同御前会議において、国内右派や「日露戦争時の焼き討ち事件」などが話題に

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 昭和16年(1941年)9月6日の御前会議の席上で、昭和天皇がよみあげた
明治天皇作の「よもの海~」の和歌の話しは有名である。

 四方の海 みなはらからと 思ふ世に
など波風の たちさわぐらむ


 昭和天皇の「日米交渉を成功させて是非とも和平を実現したい。」という平和への

思いが、このエピソードにも現れているようだ。

 ところで、昭和16年(1941年)9月6日に行われた御前会議ではアメリカとの和平

交渉が主な議題としてとりあげられたようだが、同会議においては、日米交渉に反対

する国内右派強硬派の言動を懸念する枢密院議長の意見も記録されている。

   同御前会議における原枢密院議長の発言によれば、

「現ニ日米国交調整ニモ一部反対ノ態度ヲ取ツテ居ル者カアル。愛国民カモ知レヌカ・・・

(中略)、日露戦争ニハ真ニ国民ハ一ツ心ナリシモ、戦争終リノ頃小村外相ハ危イ様ナ

事カアリ、又焼討事件ナトモアツタ。今ハ戦争中ニモ拘ラス『テロ』行為カアル・・・。」

などと国内の右派強硬派の動向を心配する意見も記録されているようだ。

  話は遡るが、昭和6年(1931年)に起きた満州事変の前後から、日本国内では右翼

テロが横行し、政党政治の否定と軍部の暴走を後押しするような右傾化が続き、日本

は日中戦争の長期化とアメリカによる経済制裁等によって、「アメリカとの交渉妥結を重

視し、中国大陸から撤兵するか?」または「アメリカとの交渉を打ち切り、日米戦争に突入

するか?」の、国策上の選択を迫られていた。
 そして、日米戦争を行う場合に備えて、アメリカの石油禁輸措置による資源不足を補う

為にインドネシアなどの石油資源を確保する「南方進出(実際は侵略)」などでアメリカとの

戦争を継続する案などが当時の重要議題になっていた。
  当時の日本国内でも、好戦論を唱える右翼団体や右派強硬派は殆ど野放しの状態だ
ったので、日米交渉を議論していた御前会議でも政府要人からは、日米交渉に反対する
国内右翼勢力の強硬な態度や右翼テロを懸念する声があがっていたようだ。

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(追記:まとめ)
 上記の歴史事実から、国内世論の右傾化を看過して日本が国際社会から孤立した後
からでは、国政の立て直しも容易ではなく、国内の右翼テロに脅かされながら勝てる
見込みのない戦争までやらざるを得ない状況に追い込まれたことが分かるだろう。

 我々が過去の日本の戦争と同じ過ちを繰り返さないようにするためには、事実と異
なる歴史を叫ぶような歴史修正主義や、嫌韓・嫌中のヘイトスピーチ、或いは変な外国
脅威論を繰り返して「国防の脅威」や「国民の不安」を煽る右派強硬派らの大声に萎縮
せずに、世論が右傾化や右派政権を批判して、政権が国家主義的な政治に偏らないよう
に、国民が政治に対して民主的なコントロールを及ばせることが重要だろう。

 特に日本の場合、右傾化は初期の段階で止める必要がある。

 日本国民が右派の強硬論に流されるようでは、日本は戦前と同様に国際社会から孤立
しかねず、国内の更なる右傾化に伴って、日本は国際社会における居場所を失うだろう。

 この点、最近では日本の右派強硬派の中には「日米同盟(日米安全保障条約)がある
のでアメリカについていれば何があっても大丈夫だろう。」などと勘違いしている人々
を多く見かけるようになったが、日米安保の問題と日本の右傾化の問題は別々に切り離
して考えたほうが良いだろう。
 なぜなら、日米安全保障条約には「日本の国家主義を保障する~」とか「日本の右派
的な強硬論を保障する~」などとは一言も書かれていないからだ。


 したがって、「日本の右傾化はかなりマズイことだ。」という認識で、現在の日本の
右傾化には国民一人ひとりが注意して臨む事が、今後は必要になるはずだ。