米内内閣倒閣運動と「バスに乗り遅れるな」の合言葉

 ( まとめ )
1、昭和15年(1940年)にナチス・ドイツがヨーロッパを席捲
2、「バスに乗り遅れるな」の合言葉や南進論が叫ばれるように
3、革新右翼などの強硬論に煽られた倒閣運動で米内内閣が倒れる
4、「大東亜共栄圏」などの軍国主義的用語の氾濫と第二次近衛内閣成立

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 昭和15年(1940年)6月にナチス・ドイツがヨーロッパで英仏軍を敗走させ、パリに入

城すると、日本では「バスに乗り遅れるな」の合言葉や大東亜共栄圏などの威勢がいい

スローガンが流行り、後の大政翼賛会に繋がる政治運動や千載一遇的な強硬論を叫ぶ

革新右翼が跳梁跋扈し、米内内閣倒閣運動を推し進めた。
 当時の右翼活動家らはヨーロッパ戦線の動向に不介入であった米内内閣の平和主義
的外交姿勢には大変不満だったようだ。
 昭和15年(1940年)7月16日、陸軍の意を受けた畑陸相が内閣総辞職勧告後に辞表

を提出したので米内内閣は倒れ、同22日には第二次近衛内閣が成立した。
 この当時を代表する表現として「皇国」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」などの物々しい軍国

主義的用語が挙げられるだろう。
 米内内閣倒閣によって、日本の体制は、声や態度が大きいだけの短絡的でその場の

空気に流されやすい強硬論者達がリードする軍国主義体制へ変貌し、日本は南方進出

から太平洋戦争へと更なる戦争に向かって突き進みだした。