●淤能碁呂島(オノコロジマ)       
  古事記の国生み神話でイザナギ・イザナミがつくり出した日本の原型が淤能碁呂島。何らかの意味を込めて命名したはずで、「碁を能(よ)くするところの島」とも読めます。それを裏付けるように皇室に伝わる着袴の儀は、数え年5歳の新宮が袴を着け鴨川の青い小石を二つ並べた碁盤から石を踏みつけ「えい」との掛け声とともに飛び降りるのです。
 この着袴の儀が示すのは「天上界で行われている碁の奥義に基づき地上を治める」趣旨なのではないかといったら、碁の奥義といっても曖昧で、青い小石を二つ並べるというのも碁なら白黒のはずで眉唾ものと感じる方も多いでしょう。
 そこで登場するのが神武東征の物語です。ご承知のように碁の白石(陽)は日向の蛤、それに対する黒石(陰)は熊野の那智黒です。神武は蛤の里である日向から東へ向かい熊野方面へ進行、始めは太陽に向かって現地軍と戦ったがうまくいかないため太陽を背にして戦ったら勝利したという話しは正に陰陽の調和を暗示しているではありませんか。
  眉に唾をつける量が多くなったかもしれませんが、あえて大胆な推理を展開しました。陰陽調和に向けた発想の自由こそ淤能碁呂島住人にとって最大の特権と思うからです。