上手になっていく娘を見るのが、単純に嬉しかった時期がありました。

 

爪先がより高く上がるようになったこと。回転が安定してきたこと。先生に褒められて帰ってくる日の、少し誇らしげな顔。あの頃の私は、それをただ「成長」という一つの言葉でしか見ていませんでした。

 

でも後から分かったのですが、上達していくということは、同時に脚をそれだけ酷使しているということでもありました。小さな怪我が重なるようになり、やがて医師に止められる時期が来たとき、私は初めて、喜んでいたものと心配すべきだったものが、実は同じ一本の線の上にあったのだと知りました。

 

喜びと不安は、別々の場所にあるものだと思っていました。娘の14年間を振り返る記録を、上に置いています。この線の続きも、そこに書きました。

 

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