千里の徒然日記

千里の徒然日記

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お久しぶりの更新です。
今日は珍しく真面目に書いていきたいと思っていますが、生死についての重い内容なので、苦手な方はここまでにされてください。





ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、今年の五月に大好きな祖母が亡くなりました。
95歳でした。
祖母は共働きの両親にかわって私達姉妹を育ててくれ、時には叱り、時には慰めてくれ、私達にとって、とてもとても大きな存在でした。

三人姉妹の中でも、私は特別おばあちゃんっ子だったと思います。
幼少期の私は身体が弱く、いつも家にいたので祖母と過ごす時間が長かったんですよね。
わからないことは、いつも祖母に聞いていました。


しかし、ここ4~5年で認知症が酷くなり、共働きの両親では目の行き届かない部分が多く出てきた為、介護施設に入所しようということになったんです。

入所すると家にはほとんど帰ってこれなくなる為、私は入所にはひどく反対しましたが、バリアフリーにはほど遠い我が家では、祖母は入浴もままならない状態で、家の中のちょっとした段差でさえも転ぶようになってきていました。

元気でいてほしい。

その想いだけで、最終的に家族会議で入所を決めました。



しかし残念ながら、祖母は介護施設の中でも何度も転び、大怪我をし、病院と施設を行ったりきたりでした。
足腰の強い祖母が怪我をする度、日に日に歩けなく姿はとても痛ましいものでした。

祖母の最後は、前日からの風邪のせいなのか、嘔吐物を喉に詰まらせての窒息死でした。

祖母が危篤との知らせを受けたとき、家族の中で一番祖母から離れた場所にいたのが私でした。
一番に駆けつけたかったのに、私が祖母のもとについたのは、一番最後でした。
今でも、横たわった祖母の顔が、冷たくなった体が、この目に焼きついたままです。


祖母が亡くなって、まもなく三ヶ月になります。
それでも、祖母のことを考えるだけで、苦しくて、切なくて、やりきれなくて、後悔ばかりが浮かんできて、今でも涙が止まりません。


私がまだ高校生の頃、そこまで認知症もひどくなかった祖母に私はとても冷たい態度をとっていました。
何で、あの時もっと話さなかったんだろう。
私が実家を離れてからも、実家に帰ったときには、いつも優しく迎えてくれていました。
お母さんに見つからないように、チリ紙にありったけの小銭を包んで、私に握らせてくれました。
おばあちゃんにとっては、使えるお金はほとんど無い中で、私の為に。
手紙も何度も何度も貰いました。


こんなにも大事にしてくれたおばあちゃんに、私はいったい何ができたんだろうか。私は何もできていない。

おばあちゃんがいなくなった今、私は毎日寝る前に自問自答します。

この三ヶ月は、本当に苦しくて苦しくて、何度も家族や友達、職場に迷惑をかけていました。


そんな中で、自分の骨の不具合も見つかり手術を迫られ、精神的に限界が近づいていたと思います。
精神的な患いは、体に顕著にあらわれました。
不眠、血尿、頭痛、などなど。

それでも、どうにか三ヶ月頑張ってきました。



そんな中で、先日たまたま目にした介護職員実務者の学校。

そうだ、高校を決める時期に一度、介護科がある学校への進学を望んだことがあった。
そんなことを思い出しました。

その時は、おばあちゃんの介護が出来るようになったらいいなくらいのぼんやりとした気持ちだった。だから、親に反対され結局、普通高校に入学した。
そんな過去を、思い出したんです。

あれから15年。
私は、何をしてきたんだろう。
明確な目標もないまま、日々の生活をこなすことだけを考えていました。

もう、こんな自分は嫌だ。





私は、決意しました。

もう、こんな思いをする家族が少しでも少なくなるように
行き届いた介護ができる施設を
入居者も家族も安心して過ごせる施設を
心を許して話せる介護士を

そんな介護の未来があってほしい。




最後の最後まで、おばあちゃんに道を照らしてもらえた気がしました。


私は九月から介護職員実務者の学校に通うことに決めました。
資格が取れたら、すぐに働いて、実務経験をつんだら、国家資格の介護福祉士を目指します。


股関節の手術については、体と相談しながら、できるだけ手術をしない方向でいけるように、最善を尽くします。


そんなこんなで、私は長くお世話になったクラブバレンシアを離れることになりました。

今日、27日が最後の出勤です。


バレンシアというお店は、私が今まで働いてきたお店の中で、最高のお店でした。

優しくて面白いたくさんのお客様。

明るくて、元気で、時には親身になって相談に乗ってくれるお店の女の子達。

キッチンの女の子はかわいい妹のようでした。

お店を盛り上げようと頑張っている店長。

ほんわかした優しいボーイさん達。

そして、最後の最後まで引き止めてくれた社長。

出来れば、ずっとバレンシアにいたいと思う気持ちもあったけれど、いろんなことが重なり合って、いいか悪いかタイミングもあり、私は決意しました。




みなさん。
二年近く、大変お世話になりました。
たくさんのご迷惑もおかけしました。
この場を借りて、お詫びします。

これから先もずっと、こんな素敵なバレンシアのままでいてくれることを、心から望みます。



本当に本当にありがとうございました。