こんにちは!World Beauty College代表/Lady Universe Japan運営代表の樋口千紗です音符

 

 

 

ミスコンで着るようなドレス、ワンピースを日本で着ていると、

 

「よくそんな服着れるよね~見えそう。笑」

「それって千紗だから着れるよね。笑」

「これ背中めっちゃ開いてるやん!笑」

 

などなど、体のラインが出る洋服や、露出のある洋服にあらゆるツッコミを入れられたり、いじられたりします。笑



 

 

 

けれども、海外でそういう服を着ていても誰もいじってこないんです。

むしろ、LAへ行ったときに街中で会った女性や店員には

 

「あなたのそのドレス素敵ね」

「それ、どこで購入したの?教えて!」

「私も欲しい!」

 

などと褒められることが多くありました。

 

 

 

「【part1】外見の美における日本と海外の概念の違い」でも、体を出すことを美の象徴としている海外と、 体を隠すことを美徳としている日本の違いについてお伝えしました。

 

 


しかし今日は、このような文化の違いを生んだ理由、また、なぜ日本では露出をすると嫌われるのかをお伝えしようと思います。



古来から日本には「隠す美」という文化が古くから根付いています。
具体的な例だと、平安時代に身分の高い女性は扇子やすだれで顔を隠していました。



歴史的書物でも、女性の内面の美しさについては語られても、顔や体の特徴や美しさについては具体的に述べられていません。
着物だって、その機能自体も体の凹凸が出ないよう、曲線を隠す構造になっています(だからずん胴が良いとされていました)。



また、江戸時代に描かれた浮世絵版画「あぶな絵」にも顕著に表れており、女性が入浴している姿において、裸体が貧弱に描かれており、表現力・存在感が乏しいものでした。




これは、ヨーロッパ絵画のヴィーナスなどに表現される、女性の裸体の重量感や曲線美、豊満さが誇張的に描かれる西欧とは大きく異なることが見て伺えます。




つまり、歴史的に見ても、そもそも日本では女性の体や顔を主張したり、誇張したりする習慣・文化が育ってこなかったのです。
逆をいえば、西欧は存在感を表して強調する文化にたけています。

 

 

 

それは、メイクの歴史にも見られます。

60年・70年代に流行ったポイントメイクを中心に、シャドーやハイライトを使って立体感を出すこと、つまり、自分の特徴を協調することにこだわっていました。




歌舞伎の白塗り化粧で平面的なメイクをする日本文化とは全くの逆要素であることがわかります。




しかし、この隠すことを美徳とする日本文化のデメリットは、西欧の特徴である

 

・目立つこと

・はっきり明確にすること

・主張すること

・突出すること

・強調すること

・凹凸をはっきりさせること

・存在感を出すこと

・個性的であること

 

を嫌う傾向にあるため、お互いの個性を認め合ったり、お互いの自己主張を尊重し合う力が極めて弱いことです。

 

 

 

だから、日本人は何かが流行れば、街中でみんながそれを着ている・持っているという現象が起こりやすいわけです。

みんなと同じことに安心感を覚え、出る杭にならないように努力します。

 

 

 

 

私は、ある意味でこの日本文化に危機意識を持っています。

その理由は、

 

・出しゃばらないこと

・曖昧にして隠すこと

・主張しないこと

・抜きんでないこと

・控えること

・凹凸を減らすこと  

・存在感を消すこと

・画一的であること

 

は、個性の尊重を阻むからです。

 

 

 

たとえば、「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という流行語からも分かるように、みんなと同じであることに安心感を持つ日本人は、「個性」の弱さが目立ちます。

 

 

 

ある髪型が流行れば、みんなその髪型にするし、あるファッションが流行ったとたんにみんな同じ服を着る。


中学では中学生らしさ、・高校では高校生らしさが求められ、ヘアメイクや制服などが厳しく規制され、みんなと同じであることや、目立たないことが求められます。

 

 

 

自分らしさを他人との関係の中で見出していくためには、トライアンドエラーが不可欠ですが、それが許されない社会では、「個」が育ちません。




その結果、自分がいいと思ったものではなく、他人にいいと言ってもらえるものや、みんなが認めるブランド品を身に着けるようになり、ブランド信仰が出来上がりました。

 

 

 

 

これが、「自分への自信のなさ」や「自尊心の低さ」を生み、「他人優先主義」「他人中心主義」の社会を生み出します。


そして、個性が尊重されない社会では、自分と異なるものやみんなと異なるものを排除する傾向があります。

 

 

 

これが国際問題にもなっている「差別」を生みます。

国際化が進み、インバウンドが進み、外国人労働者が増え、オリンピックも控えている日本は、個性の受け入れや、自分たちと違うことに対する寛容さ、多様な個の在り方を尊重できる器がないとまずいと思います。

 

 


逆に、トライアンドエラーが許される社会では、自分らしさを他人との関係の中で見出していくことができます。

個が、

 

・目立つこと

・はっきり明確にすること

・主張すること

・突出すること

・強調すること

・凹凸をはっきりさせること

・存在感を出すこと

・個性的であること

 

は、いかに個が他人と違うかを表現し、その違いを認め合える社会を育てます。

 

 

 

日本の「奥ゆかしさ」「謙虚さ」は長所であり、世界に誇るべきことですが、短所となる「個性の弱さ」はどんどん海外の多様な個の在り方を見習い取り入れていくべき。

個の表現はもっと自由であり、個性にあふれていてもいいのではないかと思います。

 

 

 

また、個性を発揮したい人がのびのびと自分を表現し、主張できる社会は、今後の国際化、多様化が進む中で、日本が取り入れていかなければならない要素であることは間違いありません。