「言葉だけで世界を認識するとは?」と、

むしろ疑問を持ったのは、この本を読んでから。

 

 

    

 

この本の言葉を借りるなら、

私はビジュアル・シンカーです。

 

判定テストも掲載されていますが、

ほとんど当てはまります。

 

加えて、もしかしたら言語そのものも、

非言語として認識している割合が多いのかもしれません。

 

だからでしょうか。

私は、言語化する行為を忘れやすいのです。

 

「あ、そうだった。

言葉として音や文字にして出さないと、人に伝わらないんだった」

 

そんな感覚です。

 

私としては、よく観察すればある程度わかるので、強弱はあれど、他の人も同じだと思っていました。

(言語も含めた日常が、セリフのない演劇を観ているようであり、

調子が良いと様々な軸ごとに場面が映し出されるような感じと言えば伝わるでしょうか。いや、難しくなったか。)

 

 

でも、移動していく中で、

自分と他者の違いを知り、

さらにグラフがインストールされたことで、

世界の構造の整合性が取れ始めました。

 

その中で、言語の大切さも

少しずつ理解するようになりました。

 

そんな非言語の世界で生きている私が、

言語で綴ってきたブログも、

この記事で40記事目です。

 

記事を重ねることで、

私の言葉が情報空間で共鳴し、

物理空間に写像され始め、

気がつけば、ブログを読んで

「人生が変わった」と言ってくださる方も現れました。

 

 

このブログは、

情報空間の仕組みを実感したくて、

誰にも言わずにひっそりと始めました。

自分自身で証明してみたかったのです。

 

そして書くにあたり、

自分に2つだけ課したことがあります。

 

メンターから言われたことと、

憧れの人たちが言っていたこと。

 

そのミックスで構成されていますが、

行き着く先は同じです。

 

そしてそれは、

このブログで言葉にしてきたこと

そのものでもあります。

 

別の表現をすれば、

誰かの「結果」や「成果」を

真似るのではなく、

自分の領域でわかることだけを真似し、

言葉にしてきた、とも言えます。

 

 

結果や成果だけを見て、

そこに再現性を求めるのは、

少しつらいことのように思うのです。

特に長い目でみたときに。

 

これは、ミメーシスの話にも

つながってくるのかもしれません。

 

なぜなら、結果は

出そうと思って出すものではなく、

勝手に出てしまうものだからです。

 

成果も同じです。

いわば「成り行きの果実」。

 

T理論で言えば、

物理空間への写像です。

 

 

人生は、競争するためにあるのではなく、

「私」が「私」であることを知り、

味わうためにある。

 

私は、そう思うのです。

 

だからもし、このブログを読んで

人生や日常が変わりはじめたと感じるのなら、

それは、あなたが

あなた自身を知りはじめ、

ある種の輪郭を帯びてきたからだと思います。

 

それは、未来のゴール側のあなたが

すでにあなたを待っているからです。

 

今回も読んでくださり、ありがとうございます。