子供の頃に描いた夢があるはずだ。

おそらく、誰にだって。

私はそれを小学校の卒業文集に書かされた記憶があった。

その記憶とともに、「卒業文集だけは、読み返してはいけない」という強烈な恥のような感情も持っていた。

自分がなにを書いたのかは覚えていないのに、「読み返してはいけないほど恥ずかしいことを書いた」という記憶だけはもっていた。

今、たまたま実家にいて、その文集を読もうと思えば読める状況だった。

手のひらにたくさん汗を書きながら、およそ20年ぶりに文集を読んだ。


そしたら、驚くべきことに、夢なんてかいていなかった。

正確に言えば、

「画家になりたかったがなることはできない。いま、苦しい思いをしているが、未来の私がきっと幸せになってくれるからがんばる」

と書いてあった。

なんと私は、「将来の夢」を書くべきスペースに「将来の夢を諦めた」話を書いていたのだ。

諦めて何になりたいのかは具体的に一つも書いてない。

この文集のなにを恥ずかしいと思ったのか、さっぱり思い出せない。

自分で言うのもなんだが、きれいな字だし、文法も正しく使っているし、体裁として恥ずべきところなんて一つもなかった。

諦めたのが、自分に対して恥ずかしかったのかもしれない、と思い至ったとき、

かわいそうに、と思った。

幸せにならなくちゃ、と思った。

もう覚えていないほど遠くの過去の幼い私自身のために。

あなたが諦めた多くのことを叶えるために。

大人になったのに。

行こうと思えばどこにだって行けるのに。

私はこのまま過去の私に諦めさせた多くのことを叶えずに、

さらに諦めて生きていくのは絶対に嫌だ。

そんなふうにおもった。