サモス島に生まれた異才ピタゴラスが、数それ自体の奥義と宇宙の神秘に迫ろうとして学校を設立したのは2500年前のことです。そこから数学者と物理学者の長い物語があって、ついにアインシュタインが1905年にそれを解き明かしました。
今から振り返ると、タイルの並び替えをヒントに、ピタゴラスの三平方の定理を記述する座標系という舞台設定に、してはならない仕掛けをすれば簡単になぞは解けたようなものです。
しかし、真剣に真正面から取り組んだ哲人のリレーによって多くの副産物を生み出しながら、人類は数学と科学の歴史を築いてきたとも言えます。
アインシュタインは、少年のときに三垂線の定理のような論証の見事さに感動しました。けれども、特殊相対性理論までは非ユークリッド幾何を知らず、公理の本性を見直すというポアンカレほどの発想は彼にはなかったと思います。
そのため光速不変性と相対性原理を仮定して、同時性の崩壊や短縮などポアンカレが予想した重要な帰結が次々と導かれる論証に、本人も納得し理論の正しさを確信したに違いありません。
その結果、見方を変えると、パンドラの箱をアインシュタインが開けてしまったのではあるまいか? ともいえます。相対性理論によって、原子力エネルギーの原理まで見つけてしまったからです。この原理を使った原爆が40年後にアメリカで作られ、2発も実験で使われてしまったのです。そして平和利用の前に、破壊のための大量の原爆や水爆が量産されたのです。
相対性理論のエネルギー
E=mc[2]/√1-(v/c)[2]≈mc[2]+1/2
mv[2]
v:物体の速度
c:光の速度 3×10[8]m/s
質量mの物体それ自体がエネルギー
ニュートン力学の運動エネルギー:時速700kmでも物体自体のエネルギーの1兆分の1にすぎない
アインシュタインは相対性理論から、物質のエネルギーの式を導いて、1905年9月27日にまた新しい論文を発表した。
宇宙を飛び交う光の速度
ところで、光の速度がどうして決まるのかを突き詰めようとするのは、容易ではありません。光は、電界と磁界が互いに直交する位相のそろった波です。その伝播速度は、真空の電気・磁気的な性質そのものによると考えるか、宇宙の空間と時間が本来具備しているためだと想定するのかなど、深遠な問題です。
当時の電磁気学に関するアインシュタインの知識と洞察力は卓越していて、彼は考え抜いた上で(観測系の座標変換によって)、光速cの不変性と相対性原理とを公理とした運動物体の電気力学の理論を発表し、それが特殊相対性理論と呼ばれるようになったのです。
こうして、一度開かれたパンドラの箱からは、多くの難題が吹き出てきました。けれどもそれらは、ギリシャ時代に第5公準に封印されていた宇宙の秘密を人類がようやく知ることでもあったのです。人間の良識が最後の希望としてためされる時です。
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